松沢呉一のビバノン・ライフ

レーベンスボルンの戦後とドイツ人の戦後—ナチスと婦人運動[11]-(松沢呉一)

ナチス体制を揺るがす性欲の戦士たち—ナチスと婦人運動[10]」の続きです。

 

 

忘れられた反逆者たち

 

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捕虜や外国人労働者とセックスして捕まる女たちの数字が倍々で増えていくのは当然であって、戦争が進むに従って、今までいた男たちが消えていく。その代わりに、工場には捕虜や外国人労働者が増えていく。ポーランド人にせよ、フランス人にせよ、戦争前には身近にいた人々ですから、親近感があります。戦争によるストレスは極度に高まる。そりゃ、恋に落ちるのもいるし、セックスするのもいるでしょう。

なおかつ、戦争への疑問、ナチスへの疑問が高まっていき、空襲が始まっていつ死ぬかわからない危機感が人々を自暴自棄に追い込んでいったことも関わっているでしょう。日本でも、戦争が進むにしたがって、兵隊と女子挺身隊との間でセックスがなされたという話がわずかには記録されています

こうして個人の性欲に忠実だった人々は、死をも怖れずナチス体制に反逆していきました。好きな男が逃亡することを手助けするのもいたのですから、これは疑いのない反逆者です。ゲッペルスがチェコ人のリダ・バーロヴァを愛人にしていたことは知っている人は知っていたわけで、ゲッペルスはよくて自分たちがそれをしてはいけないなんて道理はない。

ナチス体制を根底から揺るがしていたのは、婦人運動ではなく、道徳派の婦人運動が嫌った性欲の戦士たちでした。

彼女たちは目の前にいる男を信用しました。それが外国人であっても、捕虜であっても。個人を優先した結果、国家に反逆した。仮にフランスにいたら、敵国のドイツ兵と恋に落ち、セックスをしたかもしれない。

同性愛者という戦士たちが強制収容所に入れられたことまでは知られていますが、ヤリマン・レジスタンスたちはまるで評価されておらず、その事実が知られてもいないことに、今なお道徳がドイツを、あるいは日本を覆っていることを見ます。フェミニズムは道徳と決別して、こちらこそを評価すべきだと思います。あるいはその前史たるフラッパーたちを評価すべきです。

it appears to be two Luftwaffe Helferinnen.  ルフトヴァッフェ・ヘルフェリン(Luftwaffe Helferin)はドイツ空軍補助兵。ヒトラー・ユーゲントやドイツ女子同盟から徴集されたよう。この写真は本物っぽい。もともとレズビアンに対してナチスはゆるかったにしても、よくこんな写真を撮ったものです。

 

 

私的領域にナチスが踏み込んだことの失敗

 

vivanon_sentence不良たちもそうであるように、ナチスの失敗は「私的領域までを厳しく取り締まれば社会がよくなる」という発想にあって、厳しくすることによって多くの逸脱を生み出し、ひとたび逸脱した者はエスカレートしていくことになります。私的領域に対する規範の強化は体制そのものを脅かします。

数が増え過ぎて裁判もままならず、民間処罰に委ねることで冤罪や過剰な処罰を増やし、いよいよ反発する人々を生み出す。戦争が進めば進むほど、そうなっていくことはエーレンフェルダー・グルッペが武器を手にして反逆を始めたことによく表れています。ヒトラー・ユーゲントやドイツ女子同盟からはみだしただけで逮捕されたり、強制収容所に入れられるのです。だったら、銃を手にしても同じだと。

さらに戦争が続いていたら、この動きはさらに大きくなってナチス体制の綻びを拡大したでしょう。

ドイツにもたぶん地味にそういうことを調べている研究者もいると思うのですが、おそらく戦中に生まれた子どもや戦後間もなく生まれた子どもには、捕虜や外国人労働者の子どもがいたのだろうと思います。フランス人など、同系の民族であれば、レーベンスボルンに世話になることもあったかもしれない。

ドイツ女子同盟はベルリン防衛に配備されており、人狼部隊に組み込まれたのもいたようです。彼女らはゲルトルート・シュルツ=クリンクら幹部が逃亡したあとのベルリン戦で銃撃や爆撃により多数死亡しています。死者数は少なくとも数千、おそらくは万に達するでしょう(民間人の死者は15万人)。

 

 

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