松沢呉一のビバノン・ライフ

エーデルヴァイス・ピラテンとエーレンフェルダー・グルッペ—ナチスと婦人運動[9]-(松沢呉一)

ヒトラー・ユーゲントとドイツ女子同盟は不良の温床に—ナチスと婦人運動[8]」の続きです。

 

 

 

抵抗者を生み出したヒトラー・ユーゲントとドイツ女子同盟

 

vivanon_sentenceミュンヘン上級地方裁判所は、これらの青少年非行の原因には早朝からの若年労働、青少年キャンプ、夜のヒトラー・ユーゲントの集会、警察パトロールの弱体化などを原因として挙げています。ヒトラー・ユーゲントこそが不良を生み出し、戦争に子どもらを巻き込んだことも不良化を招きました。思想や人種のチェックに人員を投じた結果、手薄になった警察の裏をかいた形です。ざまあ。

ヒトラー・ユーゲントやドイツ女子同盟は、当初志願した者だけの参加であり、ハンス・ショル、ゾフィー・ショル、ヴィリー・グラーフらがそうであったように、そこに納まり切れなかった少年少女たちはナチス傘下の団体から離脱して禁じられた別団体に参加し、それらの団体、さらにナチスそのものへの反発心を育んでいきます。

1936年以降、10歳から18歳の男子の全員加盟が義務づけられ、女子はヒトラー・ユーゲントの女子版「ドイツ女子同盟」に加盟します。ここから反抗は内部に移行します。

学校はできない軍事訓練や人種教育までを担い、若いうちから、ゲルマン民族国家体制に組み込む組織のはずだったのに、これによって不良層を内部に抱え込むことになり、ヒトラー・ユーゲントとドイツ少女同盟自体が抵抗者たちを生み出し、反抗の拠点になります。

全体からすれば一部でしょうけど、その一部はどこの支部にもいて、少年少女たちはその体制に反抗するネットワークを作り出し、強制加盟のヒトラー・ユーゲントやドイツ少女同盟とは別に数々のギャング団を全国に誕生させていきます。共通のバッヂをつけて、パーティを開き、酒を飲み、乱交をし、集団で窃盗を行い、ヒトラー・ユーゲントのパトロールを襲撃するなどの「抵抗運動」を展開していきます。

なおスウィングスでも乱交があったのですが、これらもヒトラー・ユーゲントやドイツ少女同盟の内部から始まったものかもしれない。当初は保守派・道徳派の人たちが期待したナチスは彼らを裏切る方向に進み出し、不良少年少女たちはそのナチスを乗り越えていったのです。

Legions of adoring German girls wait for Hitler during one of his early rallies in the 1930s. 着色しました。

 

 

エーデルヴァイス・ピラテン(海賊団)

 

vivanon_sentenceギャング団のもっとも顕著な例はエーデルヴァイス・ピラテンでした。ピラテンはパイレーツ=海賊です(日本ではたいていの場合、「エーデルヴァイス海賊団」としていて、一部「エーデルワイス・パイレーツ」になっているのですが、以下に出てくるエーレンフェルダー・グルッペも、それに合わせると「エーレンフェルダー団」「エーレンフェルダー組」あるいは「エーレンフェルダー・グループ」と英語にすべきかってことになってきて、バランスが悪いので、ドイツ語のまま「ピラテン」にします。このバランスの悪さは「ヒトラー・ユーゲント」と「ドイツ女子同盟」も同様なのですが、これで定着してしまっているので、いまさら統一しにくい)。

エーデルヴァイス・ピラテンは14歳から17歳の少年たちによって結成されたギャング団のつながりです。ヒトラー・ユーゲントへの反発から誕生し、地域別のサブグループが結成されていて、ケルンを中心としたナバホス 、 オーバーハウゼンとデュッセルドルフの右派グループであるキッテルバッハ・ピラテン 、エッセンのロービングデュードなどがありました。

彼らの活動のルーツには、ナチスに禁止された青年活動がありましたが、カトリックを中心としたそれらの青年活動とは一線を画します。この背景には戦争があって、エーデルヴァイス・ピラテンは第二次世界大戦開始とともに活動が始まり、ヒトラー・ユーゲントから離脱し、はっきりとナチスへの反抗意識を持ち、グループによっては連合国を支持し、ドイツの脱走兵をサポートする活動をやっていました。

また、ビラを作成して配布し、連合国側が飛行機から投下するビラを家庭に投函する活動をやるグループもいました。

彼らが作成したビラはいたってシンプルです。小さな紙に短い文章が書かれただけです。白バラのビラとはまったく違います。

白バラの方が知性が感じられましょうが、私はエーデルヴァイス・ピラテンのビラに知恵を感じます。実際に、その方が効果があるとして選択されたものだったらしい。電話ボックスにあるこのビラをさっと見て、その場に戻せる。持ち帰る必要はない。書き手が滲むようなものではないため、身許がわかりにくい。こっちの方が賢いと思うなあ。

Sülzer “Edelweißpiraten“ im Jahr 1943

 

 

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