松沢呉一のビバノン・ライフ

ヒムラーが頼った武士道とオカルティズム—ルドルフ・ヘス著『アウシュヴィッツ収容所』を読む[8]-(松沢呉一)

子どもを殺すことを命じたヘスが殺す人々を軽蔑する身勝手—ルドルフ・ヘス著『アウシュヴィッツ収容所』を読む[7]」の続きです。 

 

 

 

憎しみがあろうとなかろうとやっていることは同じ

 

vivanon_sentenceルドルフ・ヘスはユダヤ人に関してこう言っています。

 

 

ただし、ここで私は強調しておきたいのだが、私自身は、個人的には、決してユダヤ人を憎んだことはない。私としてみれば、彼らはたしかにわが国民の敵ではあった。しかし、私にとっては、その点では、彼らは、他の抑留者と全く同等であり、同じ扱いを受けるべきものだった。私は、その点では、決して区別はつけなかった。その他の部分では、私は、決して憎しみの感情などもったことはない。

 

 

個人としては悪い感情はなかったということなのですが、現実には明らかにユダヤ人はナチスにとって、つまりはヘスにとっても特別な存在でした。

政治犯であれ犯罪者であれ、それぞれに反社会的という認定はあり得ましょうが、そもそもユダヤ人に関してはユダヤ人というだけで収容されているのですから、その段階から不当であって、扱いが同じってはずがない。なおかつ、犯罪者にはカポとして権力を与え、同性愛者は「治れば」解放していたのですから、それらの点でもユダヤ人は扱いが違う(この手記における同性愛者の記述はアウシュヴィッツではない収容所での見聞ですが)。

それでもこう言い切ってしまえるくらいにヘスの書くことは現実から乖離してしまっています。

この辺のズレが奇妙にも感じられるのですが、この文章はヘスの思考、あるいは広く親衛隊の思考を説明しているように思えます。「個人の感情」を「わが国民の敵」という認識が上回っていたってことであり、ナチスにおいては「個人の感情」なんてものは不要でした。

この個人の感情は、親衛隊という組織の中では表に出せない。出さないこと、なかったことにすることで親衛隊では評価され、出世ができるのです。

以下は本書を編集したマルティーン・ブローシャートによる序文に掲載されていた、1943年10月、ヒムラーがSS幹部の前で語った言葉です。

 

君たちのうちのほとんどの諸君には、百の死体が一緒に横たわっているということと、五百の死体が、あるいは千の死体が横たわっているということ、それが何を意味するのか分かるだろう。こういったことに〈耐え抜いて〉きたということ、その際、——人間的な弱さの例外は別として——毅然とし続けていたということ、それがわれわれを強くたくましくしたのだ。これこそが、われわれの歴史にいまだかつて書かれたことのない、そしてこれからも書かれることがないだろう栄光のページなのだ。

 

この言葉は他でも何度か見ている有名なセリフです。自分はほとんどそんな場面は見ておらず、見ると卒倒しそうになるくせに、こういうことを言う嘘くささとヘスの嘘くささは通じています。

こういった現実を直視してなんとも思わなくなること、あるいはヘスのように動揺していても、それを外に出さなくなることが優れた親衛隊の資質ってことです。個人の感情を捨てる。人としての良心を捨てる。そうすることによって認められ、出世ができる。そこから外れると追放や制裁が待っています。

A smiling Himmler at Dachau concentration camp. ヒムラーのこの笑顔が不気味ですが、強制収容所で処刑されるところを見て半ば気を失っているのかも。

 

 

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