松沢呉一のビバノン・ライフ

収容所での売春と脱走を試みるカップル—収容所内の愛と性[22]-(松沢呉一)

「Playing for Time」が描くオーケストラ—収容所内の愛と性[21]」の続きです。

 

 

 

売春婦制裁物語で興ざめ

 

vivanon_sentenceドラマ「Playing for Time」では軽くセックスも描かれています。主人公と仲のよかった若い女がセックスをして食べものを得るようになるのですが、ここでまた主人公は葛藤しつつ、彼女にもらった食べものを口に入れます。

しかし、生き延びるためになんでもする彼女には最後に制裁が待ってました。ここはアーサー・ミラーの創作でしょうが、ステロタイプでつまらないところです。

売春をするような女は最後にバチが当たるという陳腐な展開がつまらないだけじゃなく、収容所の理不尽さは一般社会の教訓譚が成立しないところにあります。真面目に生きてきた人より、人を殺して前科がついているようなのがカポになっていい生活をする。人を出し抜き、盗みをしてでも食べものを手に入れたのが長生きする。

ルドルフ・ヘスが言うように、狡猾さが収容所で生き延びる要因のひとつだったのは事実でしょう。体の強い・弱いも当然左右します。運や年齢、収容所に入った時期なども関係しましょうし、オーケストラのメンバーについてはなにより音楽ができるというところに生き延びた理由があります。

その理不尽な世界とあのベタなオチはそぐわない。制裁は解放されたあとのことなので、通常の人間社会で見られるルールが機能したってことかもしれないけれど、売春否定は支配者の論理であり、だからナチスは売春婦も強制収容所に送り込んだわけで、ナチスの価値観と同じ価値観で制裁することに、「無自覚すぎるな」と思いました。

※スチールです。前回見たように、モノクロ・ヴァージョンが当時のものだと誤解されているケースがあるのですが、カラーだとさすがに誤解しない。

 

 

現実の収容所での売春

 

vivanon_sentence実体験に基づくシモン・ラックス/ルネ・クーディ著『アウシュヴィッツの音楽隊』でも売春の話が出てます。収容所内には売春施設が作られていたわけですが、それ以外でも売春は行なわれていました。食べものを得るため、つまり生きるためです。

アウシュヴィッツの音楽隊』によると、とくに売春するのが多かったのはジプシーで、どんな美人でも煙草10本で応じる。下は数回吸わせるだけでやる。これはジプシーの女たちは煙草を吸うのが多かったためですし、もともとまともな仕事に就けない彼らの仕事は、占星術と音楽と売春でしたから、そこに抵抗は薄い。

こういう社会構造の反映がなされている売春を断罪した「Playing for Time」は低俗な道徳観でオチをつけてしまいました。

「Playing for Time」の中では電気系統の修繕をする男の老人が何度も登場します。女に人材がいない仕事は、こういう男たちが担当してましたから、男女の接点はそれなりにはあって、出入りできる人たちにとっては交渉が可能でした。映像の中にあるように、ちょっとした暗がりでさっと済ます。

とくにオーケストラのメンバーは特権階級であるとともに、演奏のため、女子収容所を訪れる機会が多く、客になることが可能でした。煙草にせよ、食糧にせよ、手に入れやすかったわけですから、「代金」も払えます。酒はジプシーたちの方が溜め込んでいたようですが。売春施設はそう簡単には行けなかったため(人種制限があったのと、「代金」を手にすることができるのは男子収容者の一部だったため)、こういう方法が発達していました。

食事も恵まれていた女子オーケストラのメンバーが売春する必然性は薄いですが、恵まれていると言っても比較の話でしかなく、それでも十分ではなかったでしょうから、もっと食べたいと思ったのがいないとは言えない。

男のオーケストラから教えに来たチェリストの手に女子オーケストラのメンバーがうっとりとした表情で頬をこすりつける印象的なシーンがあります。女たちの中にはどうあれ男に接したいというのもいたでしょう。

刑務所でもそういうことが起き、だから短期の同性愛行為もなされるわけですから、売春したのがいたことは「あり得ない」とまでは言えない。

 

 

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