松沢呉一のビバノン・ライフ

被告の半分近くが女だったのは「女はサディストだから」か?—収容所内の愛と性[16]-(松沢呉一)

ベルゼン裁判で起訴された人々の偏りを数字で確認する—収容所内の愛と性[15]」の続きです。

 

 

 

男女比がほとんど変わらない

 

vivanon_sentenceもうひとつ収容所のヒエラルキーが顕著に出ているのは性別です。

女は正規の親衛隊員にはなれず、女の被告は全員看守です。多くは親衛隊の補助員になっていたでしょうが、ここには身分差があります。

ドイツ全体で55,000人の看守がいて、うち女は3,700人。6.7%です。

親衛隊員が監視塔で見張るのも、台所担当も「看守」(警備員)と言われる仕事であり、幹部や収容所以外での資材調達などの担当以外はすべて看守としていいのですが、便宜上、親衛隊員は親衛隊員として区分し、女は看守としておきます。つまり、男女の違いです。

こちらのリストによると、ベルゲン・ベルゼンのスタッフだった親衛隊員、看守、カポ、職長は372名のようです。名前から男女の別を推測することは可能でしょうが、全員の名前を調べるのはあまりに大変だし、男女の率がある程度わかっても、データがまったくない人たちがいて、看守なのかカポなのか職長なのかの判断ができません。電話交換手も入っていて、女だからと言って看守とは限らないので、女の看守が何人いたかわかりそうにない。

女の看守は30人程度と裁判で誰かが証言してましたが、少なすぎるような気もします。解放時、親衛隊と看守を合わせて86名が残っていて、うち親衛隊員は56名、看守は28名。

看守が30人いたのだとすると、ほとんどが解放後も残っていたことになりますが、残っていた率が高すぎるのではなかろうか。あるいはそれで正しいのかもしれないけれど、ここはわからないということにしておきます。

被告になった親衛隊は18名、看守は16名。前者が男で後者が女です。ほとんど人数が変わらない。解放後も残ったのは親衛隊員の数の方がずっと多いのですから、腸チフスで死んだのが男ばかりだったのだとしても、起訴率は女の方が高いことは間違いない。

Women collect their rations of bread from one of the cookhouses. 着色しました。解放された翌日の4月16日撮影。パンの配給で喜ぶ収容者たち。でも、こういう人たちの中から逮捕者が出たり、なお殺されたりしたのがいたことを考えると、複雑な気分になります。

 

 

被告は逃げなかった人、逃げられなかった人

 

vivanon_sentenceラーフェンスブリッュクは女の収容者が圧倒的に多く、アウシュヴィッツも女の収容者に対応していて、当然、看守もそれに見合って多く、ベルゲン・ベルゼンにも女の収容施設があったため、比較的収容者も看守も女が多いことは納得できるのですが、あくまで「比較的」という話であって、被告45名中、21名が女であることは、解放前に逃げにくかった人たちが被告にされたことを示唆しましょう。

看守たちも捕まったらその場で殺されるか、裁判にかけられることは予想していたはずですから、よっほど責任感が強いか、ナチスとともに死んでいく覚悟がある人以外、逃げられるものなら逃げたはず。

恋人に会いに行かなければ逮捕されなかっただろうアンネリーゼ・コールマンそのまま逃げれば逮捕されなかっただろう親衛隊員のカール・フランシオらの存在が物語るように、第一次ベルゼン裁判は、その場に残った人から被告を「見繕った」といったものです。

逃げにくかったのは、「腸チフスで倒れていた人」「体力のない人」「逃げる情報、交通手段、武器、金などを持たない人」「ドイツの地理に疎い人」「身寄りが近隣にない人」たちです。とりわけポーランド人ともなると、ドイツ語が覚束ない人もいます。徒歩で逃げることもできたかもしれないですが、スカートを履いた看守には難しかったでしょう。

親衛隊員の主力部隊は外人部隊と看守を残して逃げ、残された者たちが尻拭いをさせられたのがこの裁判なのだと思います。

 

 

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