松沢呉一のビバノン・ライフ

天皇に対する名誉毀損罪や侮辱罪は成立するのか—タブーと萎縮[1]-(松沢呉一)

「表現の不自由展」に出展された横尾忠則「暗黒舞踏派ガルメラ商会」—「表現の不自由展・その後」のその後(下)」から続いています。

 

 

 

改めて「表現の不自由展」の天皇表現

 

vivanon_sentence

表現の不自由展・その後」(以下、「表現の不自由展」)が短期間とはいえ、再開されたことで、展覧会が脅迫、嫌がらせによって中止に追い込まれたままにならなかったことは一安心。

 

2019年10月8日付テレ朝NEWSより

 

しかし、このニュースでも「少女像など」とされて、天皇表現については触れてません。天皇表現は「など」かよ。

「表現の不自由展」に出展された横尾忠則「暗黒舞踏派ガルメラ商会」—「表現の不自由展・その後」のその後(下)」に書いたように、「表現の不自由展」は大浦伸行「遠近を抱えて」から始まったものであり、今回もその継承と見ることができ、映像作品である「遠近を抱えて」パート2に対して広範な批判や抗議がありました。

 

 

天皇タブーをなぞった人々

 

vivanon_sentenceあいちトリエンナーレのあり方検証委員会による「中間報告」でも、こう書かれています。

 

 

※「遠近を超えて」とあるのは「遠近を抱えて」の間違いでしょう。直した方がよろしいかと。

 

少女像を大きくクローズアップし、天皇表現はなかったかのような報道が少なくなかったことに対しては展覧会を批判する側からも、おかしいという声が出ていました。というか、そっち勢力の方が積極的に指摘しているか。「少女像は問題ではない。天皇を侮辱する表現は許せない」として少女像に問題を代表させるやり方を批判している意見を見ました。また、高須克弥も書いていたことについ先日気づきました。立場は私と真逆ですが、天皇表現を見えなくした報道についての腹立たしさは同じです。

ずーっとこの国で続いてきた萎縮効果だろうと思います。天皇に触れることさえも怖い。メディアだけでなく、「表現の不自由展」の中止を批判する側にも、この怯えの中にいた人が少なくないでしょう。意識して避けた人もいたでしょうし、意識できないまま、そうなってしまった人も多いのだろうと想像します。個々人の中に深く浸透した忌避感情。それをまた今回固定してしまいました。ここを変えないと、問題解決にならんと思います。

 

 

天皇に対して侮辱罪や名誉毀損罪は成立するのか

 

vivanon_sentence

「表現の不自由展」に出展された横尾忠則「暗黒舞踏派ガルメラ商会」—「表現の不自由展・その後」のその後(下)」に、メディアが天皇表現に触れたがらず、一般の人でも無視した人たちが少なかったことについて私はこう書きました。

 

一般の人たちもそうです。天皇表現を無視している人たちが少なくない。「天皇個人に対する名誉毀損は成立するのか」みたいな議論にもなってくるので面倒臭いのは事実でしょう。しかし、たぶんその面倒を避けて触れないのではなく、触れてはいけない気がして触れないのだろうと想像します。

 

多数の人々が言及しているので、見てもいない「表現の不自由展」に私が立ち入るまでもなく、そこで取り上げられなかった性表現について論じておくのが私の役割だと思っていたのですが、「天皇個人に対する名誉毀損は成立するのかみたいな議論については説明しておいた方がいいのかもしれない。

私が「天皇個人に対する名誉毀損は成立するのかみたいな議論を考えるきっかけは今から30年、あるいはもっと前、たしか野村秋介がこんなことを書いていたことにあります(野村秋介ではない民族派だったかもしれないですが、いずれにせよ、そこに近い人だろうと思います)。

「天皇制を批判するのも、天皇の戦争責任を問うのもいい。しかし、天皇を揶揄をする表現については、本人が反論できない以上、我々が肉体言語を駆使するしかない」

私の記憶ですから正確ではないですが、ざっとこんな内容です。

 

 

next_vivanon

(残り 2047文字/全文: 3709文字)

ユーザー登録と購読手続が完了するとお読みいただけます。

ウェブマガジンのご案内

会員の方は、ログインしてください。

« 次の記事
前の記事 »

ページ先頭へ