松沢呉一のビバノン・ライフ

ほとんどの殺人者が逃げ切った—ジャパニーズ・サフラジェットとナチスと包茎と田嶋陽子[3]-(松沢呉一)

「極悪ヒトラー」「極悪ナチス」だけでは見誤る—ジャパニーズ・サフラジェットとナチスと包茎と田嶋陽子[2]」の続きです。

 

 

 

ウェンディ・ロワー著『ヒトラーの娘たち』が見せてくれた欠落

 

vivanon_sentence前回書いたように、ウェンディ・ロワー著『ヒトラーの娘たち—ホロコーストに加担したドイツ女性』は、さまざまな記事にやたら登場することから気になっていた本でした。なぜこの本がそうもさまざまなメディアに取り上げられたのか、読んでわかりました。

なお十分とは言えないながら、多数のナチス本を読み、ネットで裁判記録を読んできた私も、まるで見えていなかったナチスの側面がこの本では明るみに出されています。

ナチスを支えたのは男だけでなく、女たちも男たちと同様にナチスを支持し、むしろ女たちのヒトラー信奉の方が熱狂的であったことはこれまでにさんざん書いていた通り。また、女の看守たちやカポたちは逃げ遅れたがために被告にされ、重い判決を受けた側面がありつつも、彼女たちは強制収容所を暴力支配するナチスの人員だったこともまた間違いがない。

ウェンディ・ロワーが明らかにしたのは、それらを大きく超え、かつ、広範囲にわたって(といっても東部占領地域の話です)、女たちがユダヤ虐殺に関与した事実でした。ナチス戦犯の追及は容赦がなく、半世紀以上経ってもなお続いていたことは御存知の通りです。しかし、女の加害者については「ほとんどの殺人者が罪に問われることなく逃げ切った」と著者は断定しています。

この本はナチスという存在を見る際に欠けていた視点を提示するとともに、今現在の我々が克服しなければならない視点の偏りを鮮やかに見せてくれます。

※2014年8月30日付・独「WELT」掲載の書評

 

 

本書の取り扱い説明

 

vivanon_sentence本を読んだ人はわかるでしょうが、読まない人のために誤解のないように予め説明をしておくと、著者はこの本で、「女も男とまったく同じく残虐である」あるいは「女も男とまったく同じ責任がある」と言っているのではありません。

たとえばニュルンベルク裁判の被告は全員男です(継続裁判でわずかな数の女性被告がいるだけで、本裁判では全員男)。職務上の責任は圧倒的に男たちに偏りがあって、著者はそこに異を唱えているのではありません。私はニュルンベルク裁判については検討をしていないので、いいも悪いもわからないですが、看守やカポが被告になった裁判については大いに疑問があります。しかし、ウェンディ・ロワーはこれにも疑問を抱いていないようです。少なくとも本書では主張されていません。

女の指導的立場にあったゲルトルート・ショルツ=クリンクは実権なき看板にしか過ぎず、ホロコーストに関与もしていないとして軽い処罰で済んだことにウェンディ・ロワーが異を唱えているわけでもありません。これにも検討すべき余地はあるかもしれないですが、これも本書のテーマになってません。

また、一般論として、男の方が暴力的であることも否定はしていません。かといって女が暴力的ではないとも言っておらず、その出方が違うと指摘しています。

この本は、戦後、あたかも女たちは、男たちがやった戦争の無垢な犠牲者であったかのような扱いになっていき、多数の殺人者たちの責任が問われなかったことに異を唱えたものです。彼女らは女の看守やカポと同様に裁かれるべきだったのだと主張しています。

 

 

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