ユダヤ人がユダヤ人を密告する心理—E.A.コーエン著『強制収容所における人間行動』[4]-(松沢呉一)
「「抑留者異常心理」「有刺鉄線病」の様々な症例—E.A.コーエン著『強制収容所における人間行動』[3]」の続きです。
同胞に対する嫉妬の亢進
「抑留者異常心理」である嫉妬の亢進は想像を超えてました。他の人の皿にイモが入っていて、自分の皿に入っていないだけで嫉妬に狂うのはわかるのですが、同じユダヤ人で収容所に入れられていない人たちに嫉妬する。
ルドルフ・ヘスが、ガス室に送られるユダヤ人がまだ隠れているユダヤ人を密告をすることを理解できないと書いてましたが、この心理になせるものなのでしょう。
コーエンは自身のこととしてこう書いています。
私は、収容所の外部で生活した人びとを、どんなに羨ましく思っていたことだろう。そして……恐らく今日でも彼らを羨み続けているのである。強制収容所の実態を自ら経験したことのない人々を、私がなぜ軽蔑するかが、これによってわかっていただけるだろうと思う。平穏な生活をずっと続けることができ、自分の地位を維持し、あるいはそれを更に進めることすらでき、家族を損なわれることもなく、解放後の社会の動きに歩調を合わせるため長い年月を要することもなかった、幸運に恵まれた人びとを、私は心の底から羨むのである。
この嫉妬のために、新規で収容所に入ってきた人々はあまりに冷淡な先行者たちの接し方に戸惑います。ただ他人に関心をなくしているだけじゃなく、先行者たちにとっては自分たちより少しでも長く外にいたことを羨み、自分たちに対して何もしてくれなかった人々に見える。わかりやすく言えば「ざまあみろ」という感情になるのです。
自分も収容所入ってきた時に、嫉妬を受けて辛い思いをしたはずなのに、収容所生活をするうち、自身もまた嫉妬を向けるようになる。
この感情が新旧を分断し、地位によって分断し、運による差によっても分断するため、収容者たちが横につながることが困難になります。
収容者が何かを企てようとしても、裏切り者が出ます。極端に利己心が亢進し、他者への同情、敬意、信頼が失われている状態では、利他的行為は極限まで避けられ、他人を貶めても自分が得をする選択を優先します。
著者自身、収容所内で密告をされています。そうすることによって自分がカポや看守、SSに気に入られることの方が得という計算が働くのです。
これでは収容者が蜂起し、脱走するなんてことは容易ではない。
では、現に蜂起し、脱走を実現したのはどういう人たちだったのかについても推測させる話が出ています。
※Photo by Arnold E. Samuelson. Female survivors gather outside a barracks in the newly liberated Lenzing concentration camp.
SSではなくカポを憎む
食べ物を確保するためにはなんでもする。女であれば売春もする。しかし、売春をした女たちは収容所でひどく虐待されました。これはただ道徳的に叩かれただけでなく、亢進した嫉妬の対象になったためです。「うまいことやりやがって」ってことです。
コーエンは自分がその対象であったことまでは記述していないですが、医者も特恵者です。尊敬をされ、感謝される分、嫉妬と相殺されるかもしれないですが、カポはただただ憎悪の対象です。著者もカポに対する強い憎しみを隠していません。
カポは利己的行動をすることが許される存在で、食べ物をピンハネし、気に食わない者を暴行し、時に殺すこともありましたから、憎まれるのは当然でしたが、この憎悪は収容者特有の心理に裏打ちされていたようです。
収容者たちは、SSに対する自己の同化(「同一視」という言葉が使われていますが、「同化」の方がシックリ来ます)が起きるため、攻撃性はSSに向かなくなります。古参になるほどSSへの憎悪が欠落し、収容者に憎悪が向きます。
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