日本民族の恥だから売春する女を許せなかった久布白落実—矯風会がフェミニズムに見える人たちへ[廃娼編 1]-(松沢呉一)
「今こそ歴史を語りたい—矯風会がフェミニズムに見える人たちへ[序章]」の続きです。
久布白落実著『新日本の建設と婦人』を読む
序章で出したクイズの答えは徐々に明らかになってくるかと思います。ひとつひとつジックリと見て行くことにしましょう。
矯風会をフェミニズムの歴史に入れる愚かさを説明するにあたって、今まで読んだものはもういいとして、読んでいなかった久布白落実著『新日本の建設と婦人』(昭和6年)を読んでみました。
久布白落実は矯風会の会頭だった人物で、とくに廃娼運動に力を入れていました。また、初代会頭の矢島楫子が生涯隠し通すつもりだった秘密を親族の徳富蘆花の追及を受けて隠せなくなり、久布白落実に告白、久布白落実もこれを隠し、結局、徳富蘆花に暴露されています。
不倫しようが、その子どもを生もうが好きにすればよく、運動体の代表であっても、その活動と無関係な個人の話として放置していい。しかし、矯風会は「そんなものは個人で決定すればいい」なんて個人主義の団体であろうはずがなく、貞操、純潔の重要性を説いて、それを法で実現しようとしていた団体です。活動の根幹に関わる話なのです。だからこそ隠そうとしました。都合の悪いことは組織的に隠す団体。
徳富蘆花の告発も、それ自体の罪ではなく、隠してきた罪を告発するものでした。隠したことによって起きた非人間的行為もありました。それでいて他者には道徳を求めるのですから、団体として社会を欺いたと言っていい行為です(以上、詳しくは「われ弱ければ人のせい—矢島楫子と矯風会」参照)。
この場合、会頭の肩書きを剥奪し、その内容を社会に向けて公にするか、団体の方針を変えるかどちらかでしょう。それができるような団体ではなかったわけです。
※Wikipediaより矢島楫子
これが久布白落実の原点だ!
で、『新日本の建設と婦人』はいい本でした。もちろん、矢島楫子の件には触れるはずもなく、久布白落実の、また、矯風会の本質が手にとるようにわかるという意味で「いい資料」ということです。
『新日本の建設と婦人』の第二篇(第二章)は「女難の解放」です。廃娼運動について書いたものです。その冒頭に久布白落実が売春反対に取り組むようになったきっかけが6ページ以上にわたって出てました。
戦後出た自伝『廃娼ひとすじ』にもこのことは書かれていますが、『新日本の建設と婦人』の方が詳しい。伊藤野枝が見抜いたように、矯風会の動機は売春をする女たちへの蔑視であることがより生々しく書かれています。戦前はこれでも共感する人たちがいたわけです。今もいるのか。道徳が個人の意思より大事な人たち。日本民族・日本婦人といった集団をしょって生き、他人もそこに押しこめないと納得できない全体主義者たちです。
『廃娼ひとすじ』から引用した文章を「ビバノン」に出したことがあったと思って検索したのですが、見つかりませんでした。「ビバノン」には出していない原稿だったかもしれない。
そこで、『新日本の建設と婦人』からその箇所を紹介し、改めて矯風会の廃娼運動が道徳運動でしかないことを確認することにしました。長いですけど、久布白落実および矯風会がどういう考えから廃娼運動をやったのか、また、どういう考えから戦後の売防法制定を画策したのかがよくわかるので、じっくりお読み下さい。
正確に全文を読みたい方は『新日本の建設と婦人』をどうぞ。ただし、気分が悪くなるかもしれないので、要注意です。
自分の意思で売春する女は日本民族の恥である
1906年のこと。久布白落実は親とともに米国カリフォルニア州のオークランドに住んでいました。このオークランドに「怪しげな婦人」「外来の異人種」が、おおっぴらに「醜窟」を営業していて、日本人町にもそういう娼家がありました。
白人第一組合教会の牧師のブラオンという人物がやってきます。この頃は、黒人と白人の教会は別で、教会名に白人が入っていたようです。そのことにはなんら疑問を持たない久布白落実です。
ブラオン牧師はこう言います。
「実はもう聞いて居らるるだろうが、例の日本人町の娼窟の話だが、私は自分で取調べ度いから、貴女一つ通訳に来てもらえないか。」
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