久布白落実が書くことは信用できない—矯風会がフェミニズムに見える人たちへ[廃娼編 3]-(松沢呉一)
「廃娼運動は純潔運動の一環——矯風会がフェミニズムに見える人たちへ[廃娼編 2]」の続きです。
結論ありきの人々
まだ世の中のことをろくに知らなかったであろう久布白落実がショックを受けるのはもっともで、13歳の小娘を売春宿に通訳として連れていった白人第一組合教会の牧師がどうかしています。このことが一生の傷となって、あんな人間になってしまったのだと思わないではありません。
なお、この白人第一組合教会という教会の英名がわからないので、正確なことは調べ切りませんでしたが、禁酒法を推進した反カトリック、反黒人、反移民、反ユダヤのバブティスト教会のひとつだったことは間違いなさそうです。日本人は名誉白人的な扱いだったのでしょうか。
久布白落実は、その経験を自分の中で消化して考え抜くことができればよかったのですが、そういう女たちを法でなくせばいいと考えたのが間違いですし、矯風会に救いを求めたのが間違いです。どっぷりなので、自然とそうなったのでしょう。
矯風会はキリスト教道徳に民族主義と国家主義を合体させた団体であり、大和民族、日本婦人として考えることはできても、「私」で考えることや、個人の意思を尊重することができない人たちの集合体です。
こんな団体だから、戦時下においてはファシズムとシンクロするのは当然です。
※ひろさちや×佐伯真光『鷲と桜: 日米比較文化論』をGoogleブックスで読めるところだけ読んだのですが、南部バブティスト教会では今も白人と黒人が分かれているところが多く、白人教会では日本人も歓迎されないとのことです。
事実を軽視する「結論ありき」の人々
久布白落実に限らず、矯風会の人たちの書くことに共通しているのは「結論ありき」ってことです。「売春はあってはならない」という結論に合致する事実だけを拾って行く。
通常はまず事実を調べます。その事実をもとに評価をし、対策を考えます。その対策をとることによって不都合が起きないかどうかをシミュレートします。
しかし、矯風会は「道徳に反することを潰す」という結論が先にあります。そのために法律に頼り、権力に頼る。それによって何が起きるかなんて考えてもいない。
その結論を出すことにとって都合のいいことだけを「事実」として見せていきます。事実が軽い。だから、事実を伏せることも平気でやるし、捏造もします。
その典型が関東大震災の際に吉原大門を閉めたというデマです。あれだけ批判されてもなお久布白落実は戦後までこのデマを広めています。気に食わない対象にはデマで貶めることが平気でできるのが矯風会です。
目的の正しさを担保として、意図して虚偽の流布をしていたとしか思えないのですが、「絶対的正義は我にあり」と信じているために、客観という視点が存在せず、「事実か否か」を検証する能力が欠落しているのではないかとも疑います。どちらにせよ、こういう人たちが書くことはいちいち検証する必要があります。
※リンク元では「ポスター」ということになってますが、石版の団扇絵だと思います。トリミングしたのかもしれないですが、真四角のポスターはあんまりないでしょう。うちにもなんかありますが、戦中は愛国デザインの団扇があったのです。国防婦人会は愛国婦人会みたいなもので、1942年にこの辺の官製婦人団体は「大日本婦人会」に統合されます。売春せず、「新しい」女にもかぶれず、日の丸を振っているような娘はこういった団体の理想であり、矯風会の理想でもありました。
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