松沢呉一のビバノン・ライフ

11月21日/猫町倶楽部読書会のお知らせ—性風俗産業から差別問題を考える読書会-(松沢呉一)-[無料記事]

 

猫町倶楽部のオンライン読書会に出ます

 

vivanon_sentence11月21日に、猫町倶楽部主催で「性風俗産業から差別問題を考える読書会」があります。

 

 

 

コロナ禍では人が集まっての読書会もままならず、オンラインでのイベントです。

マゾヒストたち』で猫町倶楽部に呼ばれた時の感想は「猫町倶楽部初体験」を参照のこと。今回はオンラインなので、生身の人と人が出会う場としての特性は活かされないながら、エリア的に、また、性格的にオンラインの方が参加しやすい人たちもいそうです。

今回は変則で、4冊の指定図書のうち、最低1冊読んでいることが参加条件です。

 

①中島 義道著差別感情の哲学』(講談社学術文庫)
②SWASH編セックスワーク・スタディーズ』(日本評論社)
③佐伯 順子著『遊女の文化史―ハレの女たち』(中公新書)

④松沢呉一著『闇の女たち―消えゆく日本人街娼の記録―』(新潮文庫)

 

それぞれの班に分かれての読書会のあと、トークです。

 

■タイムテーブル
19:00 オープニング~読書会

20:45 読書会終了~休憩
21:00 トークイベント※
22:30 終了

 

※トークイベント出演ゲスト
『闇の女たち』著者 松沢呉一
セックスワーカーの活動団体 SWASH代表 要友紀子
『セックスワークにも給付金を』訴訟弁護団 弁護士 亀石倫子

 

持続化給付金で性風俗産業が外されたことに対する裁判を踏まえたものですが、具体的なことはトークパートの後半登場する亀石倫子弁護士にお任せするとして、前半でSWASH要友紀子と性風俗産業に対する差別や偏見一般についてのお話をする予定です。

申し込みは19日の0時。ってことは18日いっぱいってことか。お早めに。

出演者が決定する前から、この告知はなされていたため、猫町倶楽部の常連さんには浸透しているでしょうけど、「ビバノン」講読者向けに、宣伝がてらなんか書いておきますか。今までの繰り返しですけど。

 

 

『闇の女たち』を選択する方々へ

 

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闇の女たちを選択する方へのアドバイスです。第一部にも最高裁まで闘った街娼のおねえさんが登場しますけど、第二部をしっかり読んでいただいた方が話がスムーズです。第一部の読みやすさに比して、第二部はかったるくて飛ばしてしまう人が多いかと思うのですが、とくに今回は第二部が大事です。当日、以下の話をするわけではないのですが、予習ってことで。

焼け跡時代に街に立ったパンパンは、大きく日本人を相手にする和パンと、米兵を筆頭とする占領軍兵士たちを相手にする洋パンに分かれます(「パンパンのいろいろ-「闇の女たち」解説編 2」参照)。

ざっくり言うと、和パンは戦前のエンコ(浅草)などにいた不良少女たちの流れを汲み、田村泰次郎が『肉体の門』で描いた街娼たちがその典型。「夜嵐のアケミ」といった個人の通称も、戦前の不良少女のスタイルです(その一例は「血桜団のお龍参上—女言葉の一世紀 10」)。ノガミ(上野)とラクチョウ(有楽町)のグループは対立して抗争を繰り広げ、銀座のダンサーたちとも乱闘しています。

対する洋パンは六本木のブラザー系や沖縄のアメ女(あめじょ)に近い層です。強くて金をもった兵隊さんと仲良くして、いいもん食って、オシャレして、あわよくば米国で暮らしたいと考えるような女たちで、「英会話を覚えたい」なんて動機もありました。

米国で生活したいとは思っていなかったにせよ、ヨコハマメリーも海の向こうを見ていた人、あるいはここではないどこかを見ていた人でした。

洋パンたちは「パンパン→オンリー」という段階を踏むことが多くて、組織化された和パンに対して、比較的個人営業の感覚が強い(オンリーについては「オンリーさんと混血児-日本における黒人差別 2」などを参照のこと)。

これらのことは、当時書かれたものや調査報告書から丹念に説明している通りです。

しかし、あるところから、「食うものがなく、親や子どものためにやむなく街に立った哀れな女たち」という見方が出てきます。金をもらう以上、食うためであることは前提として、安全確実に金を得るなら赤線や青線で働きます。雨の日、雪の日に外に立つのは辛く、金を奪われ、殺されるリスクがあり、客がつかなければ寝る場所にも困るような街娼より、赤線や青線を選択するってもんです。

にもかかわらず、パンパンたちにも「哀れな女たち」という見方を持ち込まれて、彼女たちがなぜ街に立ったのかが見えなくされてしまうのです。「女が好き好んで売春をするはずがない」という道徳観を疑えない人々が現実を否定し、歴史を改竄していく。

このような見方を拡散することに寄与したのが小林大治郎・村瀬明著『みんなは知らない 国家売春命令』(のちに『国家売春命令物語』と改題されている)です。この本は剽窃した上にひどい改竄をやっている呆れた代物であることはみんなは知らない 国家売春命令」シリーズで明らかにしています。いかにこのジャンルではムチャクチャなことがまかり通っているのかを噛み締めてください。

この本では、街娼はRAAによって生み出されたものであるという見方を提示しています。この本がやらかした捏造、改竄の方向は「パンパンは社会の被害者である」というものであり、その象徴がRAAが生み出したという見方だと言えます。

もちろん、戦争の被害者としての側面はありますが、大きな責任を負う人々以外の国民すべてが戦争の被害者とも言えて、パンパンについてはただの被害者ではなく、街に積極的に立った点を見ていくべきです。

 

 

女はつねに被害者・犠牲者でなければならないと信じる人々

 

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以上を踏まえて、この記事を見てくださいよ。

 

 

 

 

 街頭に立つパンパンはそもそも、どうして誕生したのだろう。茶園さんは「占領兵の慰安施設の閉鎖がきっかけです」と話し、こう説明を続けた。45年8月15日の終戦直後、日本にやってきた占領軍兵士のための慰安施設が日本政府の指示で各地に作られた。例えば兵庫県警史によると、兵庫県では終戦からわずか1週間後の8月22日に県警が施設設営のため前年廃止した保安課を復活させ、職員が「接客婦」集めに乗り出す。兵庫県知事や神戸市長と懇意だった地方紙の記者は後にその理由を「一般の善良な婦女子をオオカミのような占領軍から守るため」と述懐する。

 

有料部分は読んでないですが、無料で読める範囲で、「変わらないのはおまえらの道徳観だ」と言っておきます。

 

 

現実や法よりも自分の思い込みを上位に置く人々

 

vivanon_sentence闇の女たち』では具体的な根拠を挙げて、RAAから流れたのが一部いたにせよ、RAAはパンパンの主たる供給源ではないことを指摘しました。RAAがあろうとなかろうと女たちは街に立ったのです。

以下がその根拠。

 

1)パンパンがRAA崩壊以前に各地に登場していたことは複数の資料から確認できる。

2)管理者がいて、そのもとで働く方がいいと考える層と街に立つ層は別であり、その質から考えて、RAA崩壊によって街に立ったのは一部である。

3)街娼の調査を見てもRAA出身者が主とは考えられない。

4)パンパン(とくに和パン)のピークは昭和23年であり、基地周辺の洋パンはさらに続くことから、RAAとは無関係であることは明らか。

5)RAAのような施設のない国でも敗戦後は街娼が溢れる現象が見られる。

 

これをいくら説明しても、「犠牲者論」に立つ人は耳を貸さない。女の主体性をどうしても認めたくないらしい。女はつねに哀れな「意思なき被害者」ってわけです。

現実を直視することに、プロテクトがかかっているのだとしか思えない。現実を直視すると死ぬプログラムをインストールしているのか?

このプログラムが今もいたるところに影響しています。たとえば今回の持続化給付金の除外基準は風営法です。風営法を踏まえた議論をするしかないのですが、法の基準より「オレ様定義」「オレ様基準」を押しつけてくるような人たちが議論を成立させない。

そういえば「おっぱい募金」でも、風営法を知らない弁護士たちが「風営法違反だ」と騒いでいましたよね。法律よりも頭の中にある「オレ様法」を上位に置く弁護士は役に立たんでしょ。

現実を見ようとしない人々、知ろうとしない人々たちの問題点をできるだけ丁寧に説明し、これが差別や偏見につながっていることを当日は確認していきたいと思ってます。

 

 

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