同性愛は「同性を愛すること」ではなく「同性とセックスすること/したいこと」[上]-(松沢呉一)
これは「女子の用法」シリーズに入れ込もうとして書き始めながら、あまりに脇道が長くなるので、途中で書くのをやめたものです。そこそこ大事なことかと思うので、完成させてみました。簡単なことは過去に書いてますが、その決定版みたいなものです。「女子の用法」用に書いていたため、その名残みたいなことが後半ちょっと出てきますが、そういう事情ですのでご理解ください。
同性愛という言葉
「同性愛」という言葉は「同性」と「愛」から成り立っていて、つまり、「同性・愛」なのだから、「同性を愛すること」と思っている人が少なくないのではないでしょうか。そのように説明しているものも多そうです。同性愛を肯定する主張として、「誰を好きになってもいい」と言ってみたりして。
言葉の意味は変化するので、それでもいいのですけど、本来の言葉の成り立ちからすると、間違った解釈かと思われますし、「同性を愛すること」と定義すると、ちょっと都合の悪いことが生じてしまいます。
goo国語辞典にはこうあります。
では、性愛とは何か。
では、愛欲とは何か。
愛欲は性欲のことであり、同性愛とは同性を性欲の対象にすることです。
愛はどこに行った?
愛の発生
goo国語辞典では「どうせい-あい」になってますが、そもそも「同性愛」は「同性・愛」なのでなく、「同性・性愛」だと思われます(以下見ていくように、あくまで私の推測であって、確定していません)。
「男性器」「女性器」は「男性・性器」「女性・性器」の略でしょう、おそらく。「性」が重なるためにひとつ落ちたのが「男性器」「女性器」。同性愛も同じです。
辞典にあるように、日本語の「性愛」は「愛」と「性」ではなく、「性」のことであり、「愛」を含めない。「性行為」「性交」「交接」「交尾」「ファック」「インターコース」のこと。 チンコをマンコに入れること、チンコを肛門に入れること、口に入れるとこと、手で触り合うこと、性器同士をこすり合わせることなどを指します。
ハヴロック・エリスの著書で邦題が『性愛の技巧』になっているものがあり、この本でも「性愛」はただの性行為を指します。ベッティングの技術、オーラルセックスの技術、挿入の技術、体位の技術ってことです。
ヴァン・デ・ヴェルデの『完全なる結婚』は、戦前、『夫婦に於ける性愛』というタイトルで出ていました。夫婦という関係に限定して、その中でのセックスについて述べたものです。
羽太鋭治著『性愛研究と初夜の知識』、高橋鐵著『性愛五十年』なども、肉体面に限定されているか、そちらに重きがあります。
伊藤堅吉著『性愛の造姿』という本があって、これは道祖神、性神の本です。チンコだったり、マンコだったりを型どった石、男女がハメている像などについての本です。伊藤堅吉はそのジャンルの研究家であり、他の類書でも「性愛」という言葉を使用しています。これもそこに愛が存在しているのかどうかは問わない。
※ハヴロック・エリス著『性愛の技巧』(大正11年)。翻訳は鷲尾浩で、版元の冬夏社は鷲尾浩が立ち上げた出版社
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