松沢呉一のビバノン・ライフ

ネオナチ各派とルドルフ・ヘス(Rudolf Heß)—インゴ・ハッセルバッハ著『ネオナチ—若き極右リーダーの告白』[2]-(松沢呉一)

ドイツ統一前後のネオナチの記録—インゴ・ハッセルバッハ著『ネオナチ—若き極右リーダーの告白』[1]」の続きです。

 

 

ネオナチの誰もがヒトラーを崇拝しているわけではない(おそらく)

 

vivanon_sentenceインゴ・ハッセルバッハ著『ネオナチ—若き極右リーダーの告白』は著者個人の体験記として書かれているので、ネオナチ諸派を整理して分類しているわけではないのですが、これを読む限り、誰もがヒトラーを崇拝しているわけではないであろうことがわかります。

ナチス最左派であったオットー・シュトラッサーを支持するのもいます。オットー・シュトラッサーについては「「長いナイフの夜」はナチス内同性愛者派閥の一掃—ナチスと同性愛[7]」で取り上げましたが、シュトラッサーを支持するとなれば、ヒトラーには批判的なはずです。反ヒトラーの姿勢を明らかにして、ヒトラーと直接対決を経たあと除名され、反ナチス・グループ革命的国民社会主義闘争集団(Kampfgemeinschaft Revolutionärer Nationalsozialisten)を結成してナチスに追われ、国外脱出をして黒色戦線(Schwarze Front)として反ナチス活動を続けた人物ですから。私もこの人には大いに関心があります。

また、長いナイフの夜で粛清されたエルンスト・レームを支持するのもいます。ヒトラーによって殺されたのですから、レーム派もヒトラーとは相容れないはず(ヒムラーとゲーリングの策略で殺されたのですが、最終的にはヒトラーが命じた)。

この2人はナチスではあれども、クリスタル・ナハトのはるか前に離脱しています(オットー・シュトラッサーの脱党は1930年、長いナイフの夜は1934年、クリスタル・ナハトは1938年)。つまり、反ユダヤ思想の持ち主であろうとも、一般にナチスの悪業として集約されるユダヤ迫害からホロコーストについてはまるでかぶっていません。共産党との対立はあっても、左翼弾圧ともかぶってない。いわば「(さほど)汚れていないナチス」です。

では、ネオナチ内部で対立しているかというと、人間関係での対立はあれども、少なくとも本書で見る限り、思想対立は表面化はしていなかったようです。人数でいえば圧倒的にマイナーな運動ですから、対立に至らないのか、そもそも体質として思想のズレはたいした問題にならないのか、どっちかわかりませんでした。

「ホロコーストがあったことは否定せず、ナチスのその部分は批判する」というネオナチもいてもよさそうなのですけどね。

※本書の続編『Die Bedrohung. Mein Leben nach dem Ausstieg aus der rechten Terrorszene

 

 

ゲイのネオナチ、ミヒャエル・キューネン

 

vivanon_sentenceインゴ・ハッセルバッハが師事していたのはミヒャエル・キューネン(MichaelKühnen)という人物です。ネオナチ・メンバーに対しては手癖が悪いだの、信用できないだのと、辛辣な評価をしていることも多いのですが、ミヒャエル・キューネンに対してはその人間性も思想も評価し続けていて、本書を書いた段階でも敬意を抱いていることが伝わり、心酔していたと言ってもよさそうです。

ミヒャエル・キューネンは、著者のみならず、この時期のネオナチに大きな影響を与えていて、必ずしも思想ではないと思いますが、ミヒャエル・キューネンはレーム派です。これはもっぱらレームが同性愛者であったことに起因しています。

インゴ・ハッセルバッハはそのことはネガキャンとして張られたデマであるとしてあまり意識をしていなかったようなのですが、ミヒャエル・キューネンはゲイであることを公言し、フランスなど国外で相手を探してそういった場所に出入りして、1991年にエイズで亡くなっています。

なんでもかんでも根拠のない飛躍的解釈を持ち込むネオナチですから、ミヒャエル・キューネンはエイズウイルスを注射器で打たれて感染したという説を信じているのもいるらしい。だからバカだって言われるのです。

 

 

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