松沢呉一のビバノン・ライフ

全体の数字合わせより個人の意思の方が重要[下]—男の名前・女の名前[付録11](最終回)-(松沢呉一)

全体の数字合わせより個人の意思の方が重要[上]—男の名前・女の名前[付録10]」の続きです。

これでおしまい。他にも途中まで書いてあったものがありますし、今後もまた名前については取り上げることがあるかもしれないですが、別枠でやります。

 

 

 

全体主義より個人主義、平塚らいてうより与謝野晶子

 

vivanon_sentence「なぜ日本では、女性議員率がなかなか上がらないのか」については「日本の女性議員率」にさんざん書いてきた通り。また、その改善方法については「男女別学肯定論を検討する」シリーズに書いてきた通り。

ざっとおさらいしておきます。今なお「政党は女を冷遇し、同じ能力があっても男の候補者を優先している」なんてことを考えている人たちがいるのではないかと想像します。

それが絶無だとまで言わないですが、日本においては、政治に対する関心に性差があり、政治家になりたいと考える絶対数にも程度にも性差があります。その結果、女性立候補者が少ない。当選可能性は男女に差がなく、しばしば女性候補に有利に働くことは数字には出ている通りです(もちろん現職が有利ですから、その点では全体として男が有利に見えますが、これは見かけ上の話でしかなく、この差の本質は「現職か新人か」です)。

その現実を踏まえて女子大は今なお戦前の女子教育をなぞって文学や家政学重視であり、政治家に有利になる、あるいは政治家にならんとする意思を育むような教育はやろうとしない。そういった教育が望む通りに、女性議員率の低さが実現されています。

立候補する数、政治家になりたい人の数が少ないのだから当たり前の結果が出ているだけです。個人の意思の集積です。それもまたよし。

それでも、こういう社会においては「なりたいのになれない」「なれる能力があるのになれない」という個人がいる可能性は否定できないので、改善することに反対するわけではないのですが、他に皺寄せが出かねない方法での改善には反対です。クオータ制がその例です(読んでない人が多いはずですが、「ウガンダとチュニジアのクオータ制」を読むとクオータ制のリスクや困難についてよくわかると思います)。個人の意思を見ることなく、全体の辻褄合わせだけを考える全体主義的発想。

それよりも個々人の選択を個人のレベルで拡大していくことを私は求めます。

私は平塚らいてう派ではなく、与謝野晶子派ですから、どうしても視点は個人になります。

国民性調査」より「社会問題への関心」。質問は「あなたは、一般の社会的な問題について、なにか意見をもつほうですか、それともあまり意見をもたないほうですか?」であり、「関心はあるが、意見は持たない」という人もいましょうけど、おおむね「社会問題への関心」を示す数字です。男女で9パーセントの差しかないとも言えますが、20代では15パーセントも違います。議員数の性差を嘆くなら、こっちも嘆かなきゃおかしいでしょ。あるいは男の方が社会問題への関心が高いことを批判して、「社会問題に関心を持つのは不公平だ。女と同じに関心を持たないようにしろ」と言いますかね。私は関心がないのも本人の意思である以上、尊重するまでですが、「議員の男女差を改善するなら」という前提で、「ここから変えなきゃダメでしょ」と言ってます。

 

 

社会が母性の押しつけを強化したのはなぜか

 

vivanon_sentence「女は家事や育児の負担があるので、政治家なんてやっていらない」という意見もありましょうけど、「いまさらながら金子恵美衆議院議員の公用車問題」で説明したように、「夫に任せていいはずなのに任せないこと」「金を出して解決できるだけの報酬を得ているのにそうしないこと」の問題を指摘せず、公用車という特権を違法に使用する行為までをなぜ擁護するのかってことが私の大きな疑問でした。

国会議員であれば専用の託児所があるのですし、人に頼めるだけの報酬があるのですから、「女たちは政治家になればいい」と言えるはずなのです。安い時給で働いても家事や育児を金で誰かに委託することは難しいですが、政治家だったらできるんですから。

「女たちよ、政治家になれ。政治への関心を高め、政治家になるべく大学の専攻を決定せよ。政治家になって家事、育児から解放されよ」と呼びかけるべきです。

なぜそこを活かすことをせずに、育児負担から逃れることを自ら放棄して、国会議員になっても良妻賢母主義を貫く金子恵美を擁護するのか。それ自体は個人の判断ですけど、議員特権を不当に使用した疑いが強いのですよ。

議員率の男女差、企業役員の男女差が少ない国々では、家事や育児を金で委託しているはずです。「子育てはなんとしても母親が自分の手でやらなければならない」なんて考え方を超えて、その現実を作り出しています。なぜそちらに向わないまま、数字的帳尻合わせだけを目指すのか。

※「国民性調査」より「幸福か」。「ひとくちでいうと、あなたは幸福だと思いますか?」という質問。自身の幸福を追求できている人は女の方が多い。これをどうとらえるか、ちゃんと向き合った方がいいです。

 

 

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