呆れるだけでは済まないひどすぎる本のつくり—V.E.フランクル著『夜と霧』[1]-(松沢呉一)
『夜と霧』を読んでみた
不調が続いております。
「ビバノン」の記事で安定して読む人がいるテーマはエロとグロとナチスです。不調な時は基本に帰るってことで、今まで読んでいなかった『夜と霧』を読むことにしました。
『夜と霧』は強制収容所ものの定番ですけど、前から言っているように強制収容所の記録はできることなら読みたくない。苦手なのです。
写真や動画で死体の山を見るのは平気なのに、どうして収容所ものを読むのは避けてしまうのか、自分でも理由がはっきりしないのですが、ガス室に送られることより狭いところに押し込められて先が見えない日々が辛くて息ができなくなるのだろうと思ってます。
これに近いのは冤罪で刑務所に入れられた人々の話か、難民申請が通らず、入管に留め置かれた人々の話か。その状態が辛すぎる。多動症気味だからかもしれないれど、私にとっては死よりも怖い。
しかし、そうも言ってられない。『夜と霧』は世界で一千万部以上売れている「名著」らしい。スルーできない存在です。
『夜と霧』の著者名はV.E.フランクルとなってますが、フルネームはヴィクトル・エミル・フランクル(Viktor Emil Frankl)で、ここではヴィクトル・フランクルとします。オーストリアの精神分析医であり、ナチスがオーストリアを併合したのにともなってナチスに連行されて強制収容所に入れられながらも生き延びることができ、精神分析医として戦後も活躍し続け、1997年死去。精神分析についての著書も多く、邦訳も多数出ています。
この本は1946年にドイツ語版が発行されていて、日本語版は1956年に最初の版が出ています。原題は「…trotzdem Ja zum Leben sagen」であり、サブタイトルは「Ein Psychologe erlebt das Konzentrationslager 』。「…それでも人生にイエスと言う/心理学者は強制収容所を体験した」という意味。
私が古本屋で購入したのは1985年の新装版です。その後さらに新訳も出ているのですが、そのことはまったく知らないまま読み始めてすぐに「なんだ、これ」と思いました。
※オリジナルのままではないでしょうが、ドイツ語版。
まさかこんな本だとは……絶句
「解説」が70ページもあり、本の3分の1を占めます。元の原稿が短くて、通常の厚みの本にするのは難しいという判断かとも思ったのですが、インゲ・ショル著『白バラは散らず』だって本文は似たような量だと思われて、おそらく別の意図があったのだろうと推測できます。
その意図と関連して、「解説」の内容がひどいのです。「これでもか」とナチスの収容所で起きた残虐な出来事をただ羅列するだけの「売らんかな」丸出しの解説です。
この解説は日本語版につけられたものであることはその内容からも、本の冒頭に掲載された「出版社の序」からもわかりますが、誰が書いたのか記載がありません。「出版社の序」に謝辞が述べられている「訳者霧山徳爾氏、森山厳氏」「貴重な資料を貸与された岩崎秀之博士」のいずれかとも思うのですが、もしそうであるなら名前を出すでしょうから、それらの資料から編集者が書いたものかもしれない。つまりはやっつけなのではないか。
ここでは「解説者」とします。
解説者が使用した資料については出典記載のないものが多く、怪しい記述も次々出てきます。それを見てきたかのように断定的に書いています。具体的にはのちほど見ていきますが、「大ベストセラーがこれか」と愕然としました。
なんて書くと「ホロコーストはなかった論者か」と言われそうですが、そういうこっちゃないです。質の問題。
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