松沢呉一のビバノン・ライフ

ひとたび拡散されたウソは訂正することが難しい—V.E.フランクル著『夜と霧』[6](最終回)-(松沢呉一)

アウシュヴィッツにいたのは数日だけ—V.E.フランクル著『夜と霧』[5]」の続きです。

 

 

『夜と霧』の記録としての価値は3点

 

vivanon_sentence『夜と霧』は世界で一千万部以上売れている「名著」らしい。スルーできない存在です」とこのシリーズの一回目に書きました。でも、記録としての価値が低い本なので、スルーしていい存在でした。記録としての価値は10点満点で3点くらい。しかし、そんなことは誰も教えてくれないので、自分で確認しないとわからない(記録としての価値は低くとも、読むべき点はあるので、付録編をこのあと出します)。

冒頭に書いた理由から、私はそんなに収容所に詳しいわけではなくて、ナチス関連でもっとも関心があるのは抵抗運動です。ほとんど読む人のいない「ポストコロナのプロテスト」なんてもんを延々とやってきたように、今現在でもプロテストに興味が向ってしまいます。

たとえば中国共産党は、ウイグルで再教育施設としての強制収容所を大規模に展開しているとされる点、夜の闇に紛れて人知れず民主運動家を拉致する点、生活が豊かになれば国民は政府を支持することを知悉している点、虚偽を繰り返してごまかしていく点など、ナチスから学んでいるだろうと思わないではいられません。

企業経営者でも人心管理の方法をナチスから学んだり、政治家でもヒトラーの演説術を学んだりしている人たちは少なくないでしょうが、私は抵抗運動から学びたい。このあと別の本で確認していきますが、抵抗運動に関わった人々は捕まって殺され、戦後もその行為は評価されず、人によっては裁判にかけられ、生き残った人々も沈黙します。それでも私はそちら側に立ちたい。

強制収容所の記録を売るためにウソを入れ、残虐娯楽として消費するような人々とは距離を置きたいと思ってます。

※ハードカバー英語版『Man’s Search For Meaning: The classic tribute to hope from the Holocaust

 

 

この物語のトリックに気づいた人

 

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という事情から、強制収容所についてはそんなに詳しくなくて、それでも「この人、いつからいつまでアウシュヴィッツにいたんだろ」「ダッハウのどのサテライトキャンプにいたんだろ」と疑問に思って経歴を調べて、「えっ、アウシュヴィッツに選別のために3日いただけ?」という流れでこれに気づいて読み直して、章構成にちょっとしたトリックがあったことが判明。

つまり、クイズとしてはそんなに難しくなくて、「この話はいったいいつからいつまでのことなのか」に疑問を抱くだけで気づけますから、このトリックに気づいた人は他にもいるだろうと検索してみました。

どこの国でも、アウシュヴッツの体験記だと思っている人たちがいっぱいいます。体験していないわけではないので、間違ってはいないですが、選別のために通過しただけだとは思っていないのでしょう。

そんな中、英語版であるMan’s Search For Meaning:のAmazonのレビューで軽く指摘している人がいました。

 

 

後段です。

著者の伝記を調べたら、強制収容所での彼の時間の説明と説明されていない記録との間にいくつかの矛盾があるようで、これはこの本の正直さと目的に疑問を投げかけます。

完全に気づいています。エリザベス・ブルックスさんとは友だちになれそう。

 

 

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