松沢呉一のビバノン・ライフ

性教育に道徳は不要・国語教育には文法が必要—「は」と「が」の違い[上]-(松沢呉一)

 

 

ナチス・ドイツの算数問題は出題する側が0点

 

vivanon_sentence原田一美著『ナチ独裁下の子どもたち―ヒトラー・ユーゲント体制』に出ていたナチス・ドイツ時代の計算問題。

 

 

なぜ遺伝病をもつ子孫を防止しなければならないのか。

遺伝的に劣等な家族は、経験的に見て、遺伝的に健全な家族に比べて子どもの数が多い。今、一つの国で、同数の遺伝的に健全に夫婦(A)と劣等な夫婦(B)がいたと仮定する。それらの夫婦がAグループ三人、Bグループ五人の割合でそれぞれ結婚適齢期の子どもをもっているとする。A、Bの子どもが再びそれぞれ平均三人、五人の子どもをもつとすると、一〇〇年後(三世代後)、三〇〇年後にはそれぞれのグループの子孫の数の比率はどれほどになるか。

 

 

これは実際に使用されていた問題だそうです。小学校高学年向けでしょうね。

ただ機械的に増加する集団にすればいいのに、この設定だと変数が多過ぎて正しく解答ができませんし、「劣等な遺伝子が一切潜在しない家族なんて存在しない」といったツッコミもしないではいられません。ナチス・ドイツでは私は0点です。

ここで「ナチスって異常、ドイツ人って異常」と思った方々は、日本では優生思想に基づく劣種婚姻法を最初に作ろうとしたのは平塚らいてうら婦人運動家たちだったことを直視しましょう。

自分らの差別性を直視しないから、今も日本や韓国では糞系フェミニストたちが恥ずかしいばかりのトランスフォビアを露呈してしまっているのだと思います(この話は母性保護派フェミニズムが内包してきた差別性がサイレントエピデミックのような歪みとなって表れていることと関連しているのだと思うのですが、説明するのが面倒なのでみなさんに任せた)。

また、しばしば性教育が道徳教育になっている異常さも想像しましょう。

前々から言っているように、性教育は科学としての性を教えればいい。

小学校では「高等な動物ではなぜ雌雄があるのか」「セックスはどのように行われるのか」「その行為がどう受精につながり、妊娠するのか」「それを防ぐための避妊にはどういう方法があるのか」「 LGBTとは何か」を教え、中学では「堕胎はどういう手術で、どういうリスクがあり、法律上はどうなっているのか」「セックスに伴う感染症にはどういう種類があって、それぞれどう予防して、どう治療ができるのか」「陰毛の世界的トレンド」といった高度な科学や情報を事実に基づいて説明すればよく、それぞれ善悪を押し付ける必要はない。高校になったら、売買春を事実として教え、法律も教え、海外事情も教え、その判断は生徒に任せればいい。道徳不要。

数学で道徳や優生思想を教える必要はなく、むしろ邪魔になるのと同じです。

もうひとつ考えて欲しいことがあります。国語教育です。

 

 

「彼は背が高い」の主語は何?

 

vivanon_sentenceビバノンライフ」の前身であるメルマガ「マッツ・ザ・ワールド」の一回目は「猫を好き」というタイトルでした。

メルマガでは読んだ人の数がわからないため、読者の受けなんてまったく考えずに言葉についてよく書いていました。今考えると、ほとんど読まれてなかったんだべな。そんなこととはつゆ知らず、一回目から日本語の文法についてでした。

「猫を好き」は文法的に間違ってますね。「好き」は形容動詞(「動詞の連用形が名詞化したもの」という説明もあります)なので、「猫が好き」が正しい。または、動詞は「好く」ですから、そちらに合わせれば「猫を好く」が正しい。

ここまでがこの回の第一のテーマで、続く第二のテーマは「私は猫が好き」という文章における「主語は何か」でした。私? 猫? あるいはどっちも主語? 「私は〈猫が好き〉」「私は〈猫が〉好き」の違いで、どっちになるか決定しそうでもあるのですが、そんなあやふやな説明でいいんだっけか。という疑問です。

 

 

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