松沢呉一のビバノン・ライフ

ヒトラーやゲッベルスを軽視したのがジャーナリストたちの失敗—ゲッベルスは天才[8](最終回)-(松沢呉一)

亡命先から戻ってみたらゲッベルスの子分ばかり—ゲッベルスは天才[7]」の続きです。

 

 

 

いい本じゃった

 

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前回見たように、ノルベルト・フライ/ヨハネス・シュミッツ著『ヒトラー独裁下のジャーナリストたち』は、「オレらも闘ったよね」「そうそう、わかる人にはわかるようにしたり」「私も宣伝省から回ってきた文書の表現を和らげた」と慣れ合っているジャーナリストたちに、「あんたらのやっていたことにはなんの意味もない。非合法のビラの一枚にも及ばない」と宣言した、きっつい内容の本です。

ビラにどれだけの効果があるのか疑問もあるのだけれど、ビラにはまだしも真実を伝えたいとの思いも抵抗もあるのに対して、ジャーナリストたちの自己正当化は議論する価値もないと言ったところでしょう。それらはすべてゲッベルスの思惑の上に成立していたことを知る時、著者の指摘には首肯せざるを得ません。

教えられるところが多く、なおかつ今後さらに考えるべきテーマを多数もらいました。

この本から学んだ重要な点がまだ残っていて、これは別枠でやるとして、最後に訳者(五十嵐智友)による長文の「解説・訳者あとがき」である「本当のジャーナリズムとは、と問われれば——第三帝国「前夜」に始まっていた崩壊」にも触れておきます。

※Norbert Frei/Johannes Schmitz『Journalismus im Dritten Reich』 ドイツ語版原著

 

 

ヒトラー政権樹立前にジャーナリズムの崩壊は始まっていた

 

vivanon_sentence本書では本文内で邪魔にならない程度に訳注がつけられていて、それと合わせて、この「解説・あとがき」によって理解が助けられたところが多々あります。『夜と霧』もせめてこういう解説を心がけてくれればよかったのですが、売れれば嘘でもいい版元では土台無理。だから疑わなければならない。

それにしてもどうして『夜と霧』は早い段階でもっとまともで役に立つ解説に差し替えなかったのか不思議ですが、文句をつける人が少なかったからでしょうし、あの解説がないと「残酷博覧会」の出し物が減るためでしょう。売れたのはそのためだと版元は認識していたのだと思います。

それはともかく、『ヒトラー独裁下のジャーナリストたち』はおもにヒトラー政権樹立以降のメディア状況を概観したものです。チラホラとそれ以前から崩壊が始まっていたことが指摘されてはいますが、独裁以前の全体像がわかりづらくはあって、この解説ではそこにスポットを当てて、本文を補足する解説になってます。

訳者によると、ヒトラー政権樹立に政治家だけでなく、ジャーナリズムも抵抗できなかったのは、読者離れと不況による経済的逼迫以外にいくつかの要因があって、そのひとつはヒトラーおよびナチスを軽視したってことです。

理性と知性を旨とするジャーナリストたちにとって、ヒトラーの言葉は理性も知性もない絵空事にしか聞こえず、『我が闘争』にユダヤ排斥も独裁も書かれているにもかかわらず、その内容を本気にする者はほとんどおらず(それどころか読みもせず)、相手にする必要のない存在であると決めつけました。

 

 

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