松沢呉一のビバノン・ライフ

ごまかす必要のない時代にごまかしに加担し続ける人たち—戦後間もなくのナチス本を読む際の注意[下]-(松沢呉一)

誰もがごまかそうとしていた時代—戦後間もなくのナチス本を読む際の注意[中]」の続きです。

 

 

戦後世代だからこその辛辣さと的確さ

 

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マルグレート・ボヴェリの「私たちはみんな、あなたたちをごまかそうとしている」という言葉を知っただけでも ノルベルト・フライ/ヨハネス・シュミッツ著『ヒトラー独裁下のジャーナリストたちには読む価値があって、あれで喉につかえていた骨がとれた思いがあります。

このことは前にも書いていますが、どいつもこいつも「名著だ」「感動した」「誰もが読むべき」と褒め称えている本を批判するのは私でもちょっとは勇気がいるのです。『親なるもの 断崖』くらいになると不安ではなく、「どんだけ指摘しなきゃいけないんだよ」「どれもこれも今まで説明してきたことばかり」と徒労感が強くなりますが、多数の資料に目を通してきている遊廓と違って、ナチスについてはまだ十分な知識がないため、「私が気づく程度のことに誰も気づかないなんてことがあるだろうか。自分の方が間違っているのではないか」との不安が生じるのです。

とくに不安が大きかったのは「白バラ抵抗運動」に対する疑問点でした。その時の不安を解消してくれたのはトラウテ・ラフレンツのインタビューでした。「白バラ神格化」の中で存在が忘れられているらしいですが、ラフレンツは中心メンバーの一人です。彼女が死刑にならなかったのが不思議なくらい。そのラフレンツが、私が感じていた疑問と同じことを語っていました。70年以上の沈黙を破って語り始めたことに心から感謝したい。

それと同じ意味で、マルグレート・ボヴェリにも感謝したいし、ノルベルト・フライとヨハネス・シュミッツにも感謝したい。この本がきっかけになって女性のファッションについて改めて調べて、気になっていた看守たちの髪型の謎も少し解けたことも収穫でした。

ここまで説明していなかったですが、『ヒトラー独裁下のジャーナリストたち』は古い本で、邦訳は1996年、原著は1989年にドイツで出ています。著者のノルベルト・フライは1955年生、ヨハネス・シュミッツは1956年生。2人とも30代前半でこれを書いています。先人の蓄積があってのことでしょうけど、30代前半でここまで調べているのは抜きん出て優秀かと思います。

年齢を確認して納得しました。

 

 

日本だからこそやりやすいこと

 

vivanon_sentence彼らはナチス・ドイツの時代、それと連続する戦後のドイツで、いわば「うまいことやったジャーナリストたち」を語気強く批判しています。

「まあまあ、彼らも生きていくためにしょうがなかったんだよ」「そう簡単には国外に逃げられないしね」といったように、生活者として理解することはなく、「わかる人にはわかるような表現を入れて抵抗した」「表現をやわらげて抵抗した」と抵抗の範囲を拡大することもなく、ジャーナリストとしての役割だけを取り出して「あんた方はゲッベルスの思惑通りに動いただけのナチスの協力者であり、加担者であった」と指弾しています。

なぜこれができたのかと言えば戦後世代だからだと思います。戦後世代はヒトラー政権成立にもホロコーストにも責任を持たない。よって自身、ごまかす必要もなければ、ごまかした人々に媚びる必要もない。

 

 

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