松沢呉一のビバノン・ライフ

ボツにした疑問点—ルート・アンドレアス-フリードリヒは反ユダヤの扇動者か、ユダヤ人救済の英雄か[下]-(松沢呉一)

「エミールおじさん」についての新刊が昨年ドイツで出た—ルート・アンドレアス-フリードリヒは反ユダヤの扇動者か、ユダヤ人救済の英雄か[上]」の続きです。

 

 

 

ボツにしたルート・アンドレアス-フリードリヒのおかしな記述

 

vivanon_sentenceルート・アンドレアス-フリードリヒについては、また、その著書『ベルリン地下組織』の内容については、ドイツの人たちにさらなる検証を期待するとして、この上、内容をひとつひとつ検証していく気はないのですけど、これについてもボツにした文章があります。

あの本についてはざっと疑問点を書き出して長文を書き、そこから3本にまとめ直したのですが、その時点で「はっきりおかしいと言えるほどではないか」と思って外した点がありました。しかし、今になってみると「やっぱりおかしいな」と思えるので、ここだけ改めて検討しておきます。

以下、若干手を加えてますが、原文ママです。

 

 

リアルタイムに書かれたものではないことはほぼ間違いない。だからと言って、ここに書かれたことのすべてが捏造ってはずもないのですが、おかしな点がいくつかあります。

そのひとつは、白バラ抵抗運動についてです。本書では、1943年3月12日に「ミュンヘンで何か起きている」という記述が登場します。「学生が蜂起したらしい」と。そこから日付は飛んで、次は3月25日。ここで初めて事の次第が書かれています。

3月25日より前に事件の詳報はつかんでいたかもしれないですが、第一報が遅すぎます。ハンスとゾフィーが逮捕されたのは2月18日、ショル兄妹とプロープストが処刑されたのは2月22日です。処刑されてから第一報を知るまでに20日もかかっています。

処刑された翌日、新聞の一面に大きく出たはずです。一面に出たのは地方紙だけかもしれないですけど、あれは見せしめのための処刑ですから、小さくとも全国的に報道はなされていたのではなかろうか。さもなければ見せしめにならない。

なおかつ当時はラジオが各家庭に普及していて、本書の中でもラジオのことは何度か出てきて、見せしめのためであればラジオでも報じられてよさそうです。

もしミュンヘンでしか報道がなされていなかったとしても、広いネットワークを持っていたはずの彼女がどうしてこのことを知るのに20日もかかったのか。しかも、「暴動のようなものが起きている」と書いていて、20日経ってなお内容が正確ではなく、「真実を知りたい」と書いています。

ミュンヘン大学のハインリヒ・ヴィーラント教授のところにいたリロ・ハインがベルリンに白バラのビラをもっていってます(「白バラ・リスト」参照)。ベルリンで地下活動をするグループは複数ありましたから、リロ・ハインが直接エミールおじさんグループとコンタクトをとっていたのかどうかまではわからないですが、情報が届くまでに20日もかかっているのは解せない。

 

 

すでに大半を忘れてますが、この頃は、白バラ抵抗運動についての情報を頭に叩き込んでいましたから、日付から「ん?」と私は思ったのでありましょう。細かくは覚えてないので、自分のことでも推測です。

これに続いて、「水晶の夜」の記述に疑問がある点を書いているのですが、これはあり得る範囲なので、他の資料と照らしあわせるまでは外したのだと思います。ここはなお確認できていませんので、今回も省略。

 

 

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