松沢呉一のビバノン・ライフ

西川文子自伝『平民社の女』を読んでみたのだが—女言葉の一世紀[163]-(松沢呉一)

西川文子による良妻賢母教育家(山脇房子・跡見花蹊)に対する批判—女言葉の一世紀[162]」の続きです。

 

 

「新しい女」を生半可と切って捨てる山脇房子

 

vivanon_sentence先端をゆく「新しい女」であり、個人主義的女権論者として私が高く評価する森律子跡見女学校創設者の跡見花蹊は守った可能性があるのに対して、山脇女学校創設者の山脇房子はほとんどつねに悪質な人物で、「新しい女」をあちこちで批判しています。

以前見た扇谷亮著『娘問題』(明治四五年)に山脇房子が「離縁する気で嫁に行く」という一文を寄稿していて、「新しい女」という言葉は出していないですが、「生半可な思想」として批判しています。

 

昔の娘は縁付く時に例え何んな辛い事、苦しい事があっても行きて二度と里へは帰るまいと決心の臍を固めて居た故に如何(どん)な苦痛、如何な困難に遭ってもよく我慢し、自分の口から不平を漏らすのは畢竟自分の恥を吹聴すると同じだ。最初見当違ひをして斯云ふ家に嫁したのは親や自分の不明なのであった。決して小言などいふべき筈のものでないと堅く心に誓を立てて居た初めの決心が斯うであるから大抵のことはよく忍耐し得たのである。

然るに近頃の女子は何かと云ふと兎角婦人の権利など云ふ事を口にして家庭を持って舅姑や夫に服従するのは盲従だなどなど云ふ生半可な思想からして直きに夫や姑と衝突して浅墓に親戚知人に向って不平を漏らす。遂には取返の付かぬ悲い境遇に終って了ふ例が少なくはない。気に入らぬ事があったら不平を云はう分かれやうと云ふ気で居ったら自分の真の親や兄弟同志(ママ)で始終不平を云ひ、度々分れなければならない訳であるけれども、分れる事は出来無と始から覚悟して居るから能く治まって居るのである。夫れだから娘がお嫁になったら其家を死場と定め一旦嫁した以上は如何なる事にも耐へ忍ぶ覚悟でなければならぬ。私は生徒達に若し舅姑の機嫌もとれず夫の気にもいられないで不和を起し離縁する様な人は私との師弟の関係は勿論母校とも縁を切ったものと思ひなさいと申し渡して居る。

 

適宜、読点を句点に直し、句点の欠落したところを埋め、濁音のないところに濁音をつけています。

「離婚の自由」を提唱したのはエレン・ケイであり、これぞエレン・ケイの真骨頂ですが、日本の「新しい女」たちはここまでは支持せず。しかし、多くの「新しい女」は家の束縛を嫌ったのは事実であり、この批判は明らかに「新しい女」による風潮を批判したものです。

「離婚するのは女の恥」という考え方を必死で維持しようとしていたのが山脇房子を筆頭とした女学校の女教育家たちであったことがよくわかる一文です。

※跡見花蹊は前回で終わりですが、Googleストリートビューより、跡見学園前の街路樹の剪定風景。背後に見えるのはたぶん中学と高校。大学の方にもっと近代的で立派な建物があったはず。私はこの辺にはわりと馴染みがあります。環境がいいんですよ。私が言う「環境」は「教育環境」じゃなくて「ヘビ環境」ね。文京区には粋なヘビスポットが数々あるのです。

 

 

人格ゼロの山脇房子

 

vivanon_sentenceこの山脇房子がどういう人だったのか国会図書館で調べていたら、前にも取り上げた太田英隆 (竜東) 編『男女学校評判記』(明治四二年)がひっかかりました。

 

この学校が高等女学校になったのは四十一年でまだ新参者である、併し前身たる山脇女学校は少し前からあった。校長山脇房子は教育者として相当に知れてゐる人であるが、評判のよくない人である。良人は法学博士で行政裁判所長の顕職にゐる人であるのに、妻たる房子氏が品行に就いて世間から彼是云はれるやうな事をするのは以ての外である。殊に身を教育におきながら道徳生活が出来ぬのは身分を知らぬも甚しい。教育者にはよくこんな偽善者があるので困る。

(略)人格のゼロな房子氏の如き人は退いて幹事の木村金之助氏や塗師谷秀教氏等に任せるがよかろう。

 

人格のゼロな房子氏」(笑)。

 

 

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