松沢呉一のビバノン・ライフ

同性愛と堕胎は同じく民族の敵—ナチスと婦人運動[ボツ編4]-(松沢呉一)

宗教としてのナチスとその道徳—ナチスと婦人運動[ボツ編3]」の続きです。

 

 

 

レームに居場所はなかった

 

vivanon_sentence初期ナチスの中で、ナチスの性管理に抵抗していたのがエルンスト・レームとその一派による同性愛グループです。性別というところでは彼の欲望は超えられない一線がありましたけど。性欲を介せば社会民主党を支持している人たちともつきあえる。性は個人のものであり、相手を個人として見る行為だからです。

その時でも「相手は××人じゃなきゃいやだ」「××人とはセックスしたくない」という頑冥な人もいるでしょうし、ソ連赤軍のように個人を見ないまま集団で強姦できるのもいるのでしょうけど、通常は人として見る。個人として性格が合う、話が面白い、顔が好き、体つきが好きといったところで判断をして恋したり、セックスしたり、結婚したりします。

だからナチスのような全体主義は個人の判断を嫌って管理しようとします。全体主義者である宗教者も同じです。他者の性欲までコントロールしないと不安になる。民族繁栄に寄与せず、個人を貫こうとしたレームが粛清されたのは必然でした。

ヨーゼフ・ゲッベルスも愛やらセックスやらのおかげでナチス体制から逃れられそうになったのに、結局、逃れられませんでした(愛人リダ・パーロヴァのこと)。その結果、ヒトラーとともに家族を殺して自分も死ぬ選択しか残されませんでした。

少年少女たち、自身の性欲に従った者たちはそれに対する疑いのない抵抗者であり、個人主義者でありました。

ベルリン陥落の際のこの写真は抜群にいいのですが、ソ連赤軍はベルリンで乱暴狼藉を働き、少なくとも10万人が強姦され、1万人の女性が死んだとされます。これはその場で殺害されたものとそのあとの自殺の総数だと思われます。これもまたジェノサイド。対して親衛隊は異民族との性行為を禁止していましたから、こういうことはあまり起きていないのだと思われます。劣等民族はセックスする価値がないので、すぐさま殺す。どっちも民族だの国家だのといった幻想を信じたことの誤りであり、どちらも全体主義者の愚行です。

 

 

同性愛者と堕胎は同じ扱い

 

vivanon_sentence1934年、ゲーリングやハイドリヒらの策動によって、レーム一派が粛清されたあと、ゲシュタポ内に専用のセクションができて、同性愛者の本格的な取り締まりが始まります。この経緯を見た時に、「長いナイフの夜」は同性愛グループを排除することが目的の重要なひとつだったのだろうと思えます。

1935年には、「同性愛と堕胎と闘うための帝国中央事務所」が設立されます。同性愛と堕胎は、ゲルマン民族の発展に寄与しない不道徳な行為として並列されました。

担当はアルベルト・マイジンガー。こののち、ポーランドで虐殺を担当して(ユダヤ人ではなく、知的階層や捕虜などポーランド人の虐殺)、駐日ドイツ大使館に赴任。日本政府にユダヤ人虐殺に協力するように要請していますが、日本政府は取り合いませんでした。戦後、米軍によって日本で逮捕され、ポーランドで裁判を受けて死刑になってます。

 

 

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