松沢呉一のビバノン・ライフ

優生思想のアバウトな理解が招く弊害を知るための「ビバノン」の過去記事まとめ-(松沢呉一)-[無料記事]

もう少し優生思想のことを説明して、理解を深めてもらおうと思ったのですが、基本的なことはWikipediaかなんかで読んでいただいて、あとはすでに書いたことの繰り返しにしかならないので、過去記事をざっとまとめました。

 

 

 

もしかすると優生思想を理解している人は少ないのか?

 

vivanon_sentenceDaiGo発言に対する4団体連名の声明については「DaiGoの発言は優生思想とは言えない—足に障害があったのになぜゲッベルスは抹殺されなかったのか」で軽く指摘して終わらせる予定だったのですが、私の中でなお尾を引いています。

4団体で協議して書いたのか、誰か一人が書いて他の団体が賛同したのかわからないですが、少なくとも4人が目を通しています。

私がその一人であれば「ここは変えた方がいい」と提案します。受け入れられなければ辞退します。賛同者として名前を連ねて欲しいという依頼があっても同じ。

この数年、ナチスについて調べてきたことが無駄になります。その前から優生思想がなんであるのかはわかってましたが、実際の運用までを理解したのは「ナチス期」に入ってからです。

現実に 4団体の連名として出され、そこにこそ食いついたメディアがいくつもあって、そこに食いついた読者も少なくないでしょうから、「優生思想そのもの」というフレーズは十分な効果があったと言えます。

私はそこに疑問が生じてしまったわけですが、もしかすっと声明を出した4団体も、そこを取り上げたメディアも、「正確ではない」ということに気づいてなおそうしたのではなく、優生思想のなんたるかをわかっていないのではないかとの疑問があります。「不要な存在は消してしまえ」との考えを優生思想と呼ぶと思っているのではなかろうか。

そこまで大雑把ではないとしても、また、改めて聞けば正確に答えられるとしても、ああいう文脈の中ではアバウトに使ってしまう。

いずれにしても、このような定義の拡大は危険を孕みます。

 

 

US SLAVE」 

確認できなかったですが、この子はローザ・ニナウか。彼女はユダヤ系です。ヒトラーおじちゃんとローザちゃん—人間が悪魔化するとき[上]」参照

 

 

「優生思想そのもの」が見えなくされる危惧

 

vivanon_sentence優生思想は「不要な人は抹殺すればいい」という表れ方をするのは事実ですが、それが優生思想なのだと思われてしまうと、「DaiGoの発言は優生思想とは言えない—足に障害があったのになぜゲッベルスは抹殺されなかったのか」にも書いたように、野田洋次郎の積極的優生思想こそが「優生思想そのもの」であることが理解されにくくなります(DaiGoの発言より野田洋次郎の発言の方が重大ということではなく、「どちらが優生思想に則っているのか」という話です)。

以下参照。

 

弘田三枝子と三浦春馬の死を知った日—RADWIMPS野田洋次郎の優生思想[1]

両者の合意で結婚ができるようになったことの素晴らしさ—RADWIMPS野田洋次郎の優生思想[2]」

遺伝子がすべてを決していると考える頭の悪さは遺伝か?—RADWIMPS野田洋次郎の優生思想[3]

有益なものだけ残そうとするとすべてが消える—RADWIMPS野田洋次郎の優生思想[4](最終回)

 

ナチスの積極的優生思想は「アーリア人はアーリア人と結婚して子孫を残せ」という考え方であり、これが結実したのがレーベンスボルンでした。

以下参照。

 

東部総合計画とレーベンスボルンの悪夢—ナチスと婦人運動[6]

レーベンスボルンの戦後とドイツ人の戦後—ナチスと婦人運動[11]

マイチャイルド・レーベンスボルンとセンカチュ—ナチスと婦人運動[13](最終回)

 

 

Arolsen Archives」This photo was taken at the Lebensborn children’s home in Kohren-Sahlis (Saxony). It belongs to the collection of Dorothee Schmitz-Köster.

レーベンスボルンの子どもたち

 

 

平塚らいてうの優生思想とそれに反対した与謝野晶子

 

vivanon_sentence「不要な存在は抹殺していい」というのが優生思想なのだと思い込むと、「抹殺するわけではないのだから」と、平塚らいてうらの劣種禁婚の考えを容認することにもなります。

以下参照。

 

新婦人協会によるふたつの請願—平塚らいてうの優生思想[1]

「花柳病男子の結婚に関する請願書」に対する与謝野晶子の批判—平塚らいてうの優生思想[2]

請願の背景にあった異様な思想—平塚らいてうの優生思想[3]

貧乏人・低学歴・不具者は子どもを生むなと考えていた平塚らいてう—平塚らいてうの優生思想[4]

平塚らいてうが望んだ母性保護や優生思想は大日本帝国が実現した—平塚らいてうの優生思想[5]

新婦人協会の請願→国民優生法→優生保護法という流れ—平塚らいてうの優生思想[6](最終回)

与謝野晶子も優生学を肯定的にとらえていた—平塚らいてうの優生思想[付録編 1]

与謝野晶子の男女平等論—平塚らいてうの優生思想[付録編 2]

与謝野晶子の女学校批判—平塚らいてうの優生思想[付録編 3]

与謝野晶子と平塚らいてうの女中の扱い—平塚らいてうの優生思想[付録編 4]

 

「たった今生きている人を殺せ」と考えていたわけではなくとも、平塚らいてうは優生思想によって貧乏人、低学歴、障害者らを社会から抹殺したいと考えていました。

対する与謝野晶子は優生学自体は認めながら、それを国家が強制的に実施しようとすることには反対でした。個人主義の強い人ですから。

 

 

the United States Holocaust Memorial Museum」A group of children wait in line at an unidentified concentration camp in Croatia.

ポーランドもそうですが、東ヨーロッパではナチス支配の前からポグロムがあり、ユダヤ人の権利を剥奪する法制化が進んでいて、ナチス支配下では積極的に政府また国民がユダヤ人連行に協力した事実があります。クロアチアがどうだったかは調べてないですが。かくも反ユダヤの歴史は複雑、現在の反ユダヤも複雑、優生思想も複雑。限界はあれども、できるだけ複雑なことを単純化しない方がいいと繰り返しておきます。

 

 

「優生思想だ」として攻撃されているポーランドのフェミニズム

 

vivanon_sentence優生思想という言葉を恣意的に使用することは、優生思想がなんたるかをわからなくしてしまうとともに、同様の恣意的利用を招き、それを批判する資格をなくすことでもあります。

それが政府側からなされているのがポーランドです。

以下を参照のこと。

 

中絶全面禁止を図るカトリック=PiSとそれに反対するウィメンズ・ストライキ(Strajk Kobiet)—ポストコロナのプロテスト[41]

ポーランドのデスボイス系フェミニストを支持する—ポストコロナのプロテスト[ボツ編6]

ポーランドのカトリックは何を求め、フェミニストたちは何を求めているのか—ポストコロナのプロテスト[ボツ編7]

 

下の2本はボツにしていたものを「ボツ復活週間」に出しました。ひとたびボツにしたくらいで全然読まれてないですが、重要な内容だと私は思っております。

ポーランドでは、フェミニストたちの闘いに対して、政権=カトリック側から、「障害のある胎児を抹殺する優生思想であり、彼らはネオナチである」との批判が加えられています。

その主張のどこがどう間違っているのかを解説しましたが、過去には平塚らいてうだけでなく、フェミニストが優生思想を支持した例、産児制限運動が優生思想の影響下にあった例が多数あるため、このレッテル貼りは一定の効果があるでしょう。間違っていてもインパクトという点で使える言葉なのです。

これは他人ごとではなくて、つねに中絶総体に対する批判として利用され得ることを見据えたい。

 

 

DW」 The children the Nazis stole in Poland: Forgotten victims

ナチスがアーリア人と認めて誘拐したポーランド人の子どもたち。これも積極的優生思想

 

 

産児制限と優生思想

 

vivanon_sentenceたしかに過去の産児制限運動には優生思想が入っていることが多く、マーガレット・サンガーの主張にもや優生思想が取り入れられ、日本では安部磯雄が顕著です。

以下参照。

 

クリスチャンにして社会主義者—安部磯雄の信仰と社会主義[1]

エドワード・ベラミー著『百年後の社会』をどう読むか—安部磯雄の信仰と社会主義[2]

禁酒・禁煙・優生思想、それってナチスでは?—安部磯雄の信仰と社会主義[3]

秋守常太郎と比較する—安部磯雄の信仰と社会主義[4](最終回)

 

この中にもあるように、救世軍、矯風会の禁酒運動にも優生思想は見てとれます。

 

 

World War II Pictures In DetailsAdolf Hitler Congratulating Hitlerjugend Boys

1945年3月20日撮影。ヒトラーはパーキンソン病で手の震えが隠せなくなってました。どこに配属されようとも、運良く捕虜になっていない限り、この少年たちは戦死してます。

 

 

個のフェイズ、国家のフェイズ

 

vivanon_sentence優生思想は、今風の言い方をすると、「サイエンスで社会をデザインする」ってことです。ここまで挙げた記事を読んでいただけるとわかりましょうが、優生思想は国家なり社会なりが上位に立って、個の決定を否定する思想です。全体主義的。

これに対して個人主義は、「誰が誰の子どもを生むかは個人が決定すればいい」と考えます。

この際に、個のフェイズ、社会のフェイズ、国家のフェイズを峻別する必要があります。

以下参照。

 

瀬木比呂志著『絶望の裁判所』でもっとも注目した指摘—第一ラインと第二ラインを見極める[上]

個のルール・コミュニティのルール・社会のルールを峻別すべし—第一ラインと第二ラインを見極める[下]

 

これができていないと、平塚らいてうと与謝野晶子の違いもわからないですし、今度は優生思想に反対する人たちが個の決定を侵害することになります。個人の決定として容認されていることの中で、社会、国家がそう強制したら優生思想となり得ることのすべてが否定されるのです。

野田洋次郎に対する批判の中で書いたように、野田洋次郎個人の希望として「私は音楽の才能があるので、同じく音楽の才能がある相手と結婚して、音楽の才能がある子どもを作りたい」と願うこともまた優生学的発想です。しかし、個人の判断として認められるべきでしょう。「頭のいい子を生みたいので」も同様。「健康な子どもが生まれて欲しい」も同様。

そう親が願うだけで優生思想だとする人たちは個人のフェイズの切り分けができていない。「同性とセックスはできない」と語るだけで同性愛者排除思想にはならないことは容易に気づけるはずです。主語が「私」から、「女」「男」「人間」「皆」となった時に初めて批判されるべきだと思います。ナチスの時代の前からドイツには「同性とセックスしてはならない」とする刑法175条が存在していました。こちらは否定されなければならない。

主語を「私」で語るべき時に、複数を主語にしてしまう人たちは簡単にこの陥穽に落ちます。

 

 

Claims Conferens org.」 Children at Auschwitz-Birkenau taken by a Soviet photographer during liberation. Photo: Yad Vashem

アウシュヴィッツ解放時のユダヤ人の子どもたち

 

 

優生思想と人口問題

 

vivanon_sentenceもうひとつ、優生思想を正しく理解しないことの弊害があります。

ナチスが人口をコントロールしようとしたことによって、「人口抑制策」に対する忌避感情を抱いている人たちがどうもいるようです。

以下参照。

 

ナチスの健康志向と人口論—心のナチスも心の大日本帝国も抑えろ[1]

人口は世界規模で取り組むべき課題—心のナチスも心の大日本帝国も抑えろ[2]

毎年9月28日は世界避妊デー—心のナチスも心の大日本帝国も抑えろ[3]

人口抑制策とアダルト産業の密接な関係–心のナチスも心の大日本帝国も抑えろ[4]

なぜ日本国民は大政翼賛に走ったのか—心のナチスも心の大日本帝国も抑えろ[5](最終回)

 

アジア、アフリカで実施されている人口抑制策について正確に認識している人は日本では少ないかと思われますが、人口過多こそがそれらの地域の食糧不足や水不足、それらを確保するための森林伐採、それによる洪水の頻発などを招いています。さらには紛争の原因にもなっています。

これに対して各国政府機関、国連機関、NGO団体が抑制策を進めています。日本では、「学校が足りない」「学校に行けない」「井戸水が足りない」「靴が買えない」といった部分への援助ばかりが表に出てきますが、それらの背景にあるのは人口の超過です。

もちろん、学校を建てて子どもらに教育を受けさせることも重要です。識字率を上げないと、人口抑制策も浸透しない。自ら環境対策をとることもできない。しかし、その原因にも目を向けるべきです。

ナチス、あるいは優生思想の表層のイメージによってこのことの理解を遠ざけているのは不幸です。人口抑制について語られないのは、むしろ優生思想を正確に知ろうとする姿勢の欠落が招いた結果ではないかとも想像します。

フレッド・グテル著『人類が絶滅する6のシナリオ』より」シリーズで見たように、地球環境の悪化やさまざまな紛争は人口超過が背景にあって、この問題は直視した方がいいと再度強調しておきます。

 

 

2020年4月9日付「Theirworld」 Children behind a security fence at the Moria camp on the Greek island of Lesvos, in a picture taken last month— Photo credit: UNICEF / Alessio Romenzi

ギリシア・レスボス島にある難民キャンプの子どもたち。2,800人収容可能のキャンプに20,000人が収容されており、スペース、食糧、医療のすべてが不足。この記事はコロナで学校が閉鎖されて、子どもたちが行き場をなくし、教育を受けられなくなった様子をレポートしたもの。今年の熱波で老人や子どもに死者が出ているのではなかろうか。どこの難民キャンプも同様で、UNHCRや各国政府、諸団体の力を大きく超えています。このTheirworldは教育に特化した支援をやっている英国のNGO。

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