松沢呉一のビバノン・ライフ

ワクチンを接種すべきか否かの計算式—コロナ気分からワクチン気分へ[11]-(松沢呉一)

国家的詐欺を疑わせるシノバック製ワクチンについての論文と香港の言論弾圧—コロナ気分からワクチン気分へ[10]」の続きです。

 

 

自分がよければすべてよし

 

vivanon_sentence

フレッド・グテル著『人類が絶滅する6のシナリオ』より」シリーズで見たように、「自分勝手」という生物一般の特性は当然人間にも備わっていて、その特性が自分らの存在を危うくしています。

コロナ禍でもその特性は存分に発揮されていて、あんだけ不織布のマスクが海洋汚染を進めていると指摘されていても、誰もそんなことは考えてないっしょ。環境団体でさえも

予防効果は布マスクやポリウレタンのマスクより不織布のマスクの方が高いからって、簡単に不織布のマスクに飛びつくのはどんなもんか。

と思うのだけれど、人間はそんなもん。自分がよければすべてよし。自分にメリットがあるので、身の周りにも配慮をし、周りに合わせたりもしますけど、それが限界。海亀や鯨のことより、自分が新型コロナに感染しないことの方が大事。

ちなみに私は布マスクが多いです。感染するとしても布マスク。

また、たびたび国単位の貧富の差による格差を国連やWHOが指摘しています。今だとワクチン。三度目のブースター接種を進めようとしていることに対して、「ちょっと待て」とWHOが要請。

貧しい国にワクチンが行き渡らず、「チャーンス!」とばかりに中国が効果に疑問のあるワクチンを売り込み、契約を済ませていたトルコにはワクチンを渡さず、在トルコのウイグル人を強制送還させることとバーターにしようとしていると指摘されています。人間がどれだけ自分勝手なゲスか中国を見るとよくわかります。

でも、あれが人間の本質。

※2021年6月1日付「日本財団ジャーナル」 危惧されていた通りに不織布のマスクやビニール手袋が海に流れ着いています。テイクアウトが増えたことでプラスチックゴミも増えているんですね。

 

 

ワクチン接種すべきか否かの計算式

 

vivanon_sentenceでさ、たまに「ワクチンを接種すべきか否か」と相談されます。もうどうでもよくなってしまったので、最近私は新型コロナ関連の情報を以前のようにはチェックしておらず、データも見ていないので、この質問に答えるのは難しい。チェックしていても難しいです。

一般論としては、「治療薬が使えるようになるまでは他に方法がないので、どんだけ人が死んでもワクチンを接種するしかない」と言いますが、個人に対しては一律に「接種しろ」とは言えない。私自身、今のところ、接種していないですし、これからも予定はないです。

「どうしたらいいのか」を考えるための計算式は作れますけど、そこにぶち込む数値は人によって全然違うので、各自で計算するしかないでしょう。

「副作用(副反応)で死ぬ人がいても、新型コロナで死ぬ率よりうんと低いので、接種するメリットはある」という言い方がよくなされていますが、この計算式はズル。「新型コロナで死ぬ率」の前に「新型コロナに感染する率」を計算に入れなければいけません。

今のペースで推移するとは思えないですが、1日1万人感染するとして、年間300万人から400万人。日本全体の30分の1から40分の1。

このリスクも人によって全然違います。デパ地下のように、換気が悪く、人が多く、従業員間の距離が近く、人によっては大きな声を出して呼び込みをする環境で働いている人と、ほとんど人に会わないような生活をしている人では感染リスクが全然違います。

もしデパ地下に行くことがあるとすれば私もマスクはします。従業員はマスクをしていたって感染しているんですから、マスクでは防げないですけどね。

※2021年8月18日付「PRESIDENT Online」 和田秀樹・国際医療福祉大学大学院教授のこの記事は読んだ方がいいです。メインテーマは後半ですが、冒頭の「インフルエンザと同じ扱いでいい」という部分に賛成。前から私はそう言っていたわけですが、その後、ワクチン効果で重症化率が落ちているため、いよいよインフルエンザと同等の病気になっています。

 

 

next_vivanon

(残り 851文字/全文: 2547文字)

ユーザー登録と購読手続が完了するとお読みいただけます。

ウェブマガジンのご案内

会員の方は、ログインしてください。

« 次の記事
前の記事 »

ページ先頭へ