死の不安とそれを乗り越えるための儀式が強迫観念になった—私の強迫性障害傾向[中]-(松沢呉一)
「備蓄癖とコレクター気質—私の強迫性障害傾向[上]」の続きです。
死の恐怖がすべての始まり
小学校低学年の私は毎月学校を病欠する虚弱児童で、自分が大人になるまで生きていることはないと確信し、いつ死んでもおかしくないと思っていたため、つねに死が近くにありました。
心臓が悪かったとは言え、すぐに死ぬような状態だったわけでもないですが、子どもにとってはそんなことはわからんです。
不潔恐怖に陥ることもあって、たとえば学校で髪の毛の長い女の子と遊んでいる時に、髪の毛が口の中に入ったりするだけで、黴菌が入ってきて死ぬんじゃないかと慌てます。すぐにうがいをするのですが、それでも不安で親に「死ぬかもしれない」と言ったことがあります。その程度でそこまで不安になったのは小学校2年くらいまでかな。
しかし、それからもしばらく続いていたのは寝る前の恐怖です。寝るとそのまま死んでしまって目が覚めないのではないかと怖れる。そのために小学校低学年にして不眠症気味で、夜の2時3時まで寝られない。寝てもうなされる。
その恐怖から逃れるために儀式を考え出します。布団に入ってから一度起きて、電気をつけ、それから電気を消してもう一度布団に入るという儀式をすると、この日は死なないというルールを作るのです。そうすると寝られることを発見して、しばらくはその儀式をやっていました。
そこで留まればいいのですが、それをやっても恐怖に襲われることがあって、そうすると、今までの儀式は効かなくなったのだと思い、そこにもっと面倒な儀式を加えます。電気をつけてから、体を3回転してから電気を消す。
次は右に3回回ったあとで左にも3回回るといったように儀式は複雑化していきます。疲れている時など、儀式をしなくても寝られることもあって、それでも死んでないので、儀式には意味がないことはわかっているのですが、なかなかやめられませんでした。
小学校4年くらいまでイヌのぬいぐるみを抱いて寝ていて、それがないとまた不安になります。当時はそんな言葉は知らなかったですが、セイフティ・ブランケットです。
ここに書いたのはあくまで一例で、他にもいろいろあったはず。
※強迫性障害についての本は多数出ているのですが、読んだことがない。今はコントロールができているので、必要がないということもあるのですが、子どもの頃の不安が蘇りそうで怖いのです。でも、今現在強迫観念に襲われて苦しんでいる人は他人が書いたものを読むと自分を客観視できて楽になりそう。
自分で思いついたルールに縛られる
寝る前の儀式は小学校の3年くらいまでだったと記憶しますが、もうちょっと大きくなってからは、寝る前ではなく、起きている時に突然儀式がひらめいてしまい、そうなるとそこに従うしかない。
たとえば、学校から帰る時は、必ずある四つ角を右折しなければならないとか、その四つ角では体を一回転させなきゃいけないといった儀式です(でんぐり返しをするのではなく、体を回すだけ)。友だちにはそんなことは言えなかったので、友だちがいる時でも、何か理由をつけて一回転したり、一度は友だちと通り過ぎてから、あとで一人で戻ってきて一回転する。
これは小学校4年の頃にやってました。
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