松沢呉一のビバノン・ライフ

寺山修司がYouTuberだったらチャンネル登録のお願いをしたかどうか—マイナーが成立しにくい時代-(松沢呉一)

 

 

これからのパンディット

 

vivanon_sentenceあの日、パンディットの奥野君とは3時間以上一緒にいたはずです。その間、ほとんどつねに会話をしていて、その8割はタバコの魅力と禁煙について。1割は銭湯について。あとは雑多で、それぞれ短時間で終わってます。

この日の朝、奥野君は水道橋博士と高円寺と阿佐ヶ谷周辺の散歩をしていたそうで、水道橋博士やたけし軍団のことだったり、奥野君の古巣であるロフトの平野さんが千葉の老人ホームに引っ越すことだったり、コロナ禍のパンディットだったり、これからのパンディットであったり。

去年と今年、パンディットのようなイベントスペースはどこもコロナ禍で四苦八苦していたし、今もなお元通りにはなっていないですが、パンディットは小さいハコで、奥野君が一人でやっていることもあって、小回りが利き、補償も出たので、潰れる心配はありませんでした。

他の飲食店同様、大変なのは補償がなくなるこれからでしょうけど、パンディットは有料の中継も少しは客がついて、高円寺までは来られない地方の客も増えました。この層が定着すると、今までになかった収入源の確保ですから、今後は楽です。

しかし、中継は今後どうなるのかわからないところがある上に、いつになったら、元通りに会場を満員にできるのかもわからない。中継の客は会場に来てくれる客とは意識が違うので、この先はなお読めないところがあって、以前は会場に来てくれていた客でも「会場に行くのは感染が怖い」という人たちもいるので、少しずつ様子を見ながらやっていくしかない。

 

 

これからのマイナー

 

vivanon_sentence奥野君とはこういう話もしていたのですが、彼が言っていた言葉で私も強く共感した言葉があります。

「すべてが数字になってきていて、マイナーが成立しにくくなった」

この話も短時間でしたが、大事だなあと思いました。

私もずっと言っているように、インターネットでは数字がはっきり出ます。印刷した新聞や雑誌であれば、どの記事が受けたのか、正確にはわからないわけですが、インターネットではすべて数字がわかります。わからなかった時代には成立したごまかしがもう成立しません。

ごまかしと言い切ってしまうのは抵抗がありますが、奥野君が言う「メジャー/マイナー」も、数字の差だけではない区分が成立してきた時代の言葉です。マイナーというカテゴリーは、ただ「人気がない」ということを示すのではなく、サブカルチャーカウンターカルチャーアンダーグラウンドというくくりと重なって、売れているもの、多数派が支持するものに対するアンチとしての地位を確立していたと思います。

現実にはそれらの中には売れているものもありました。たとえば寺山修司は売れていた人です。テレビにもよく出ていて、だからこそタモリが物真似をして成立しました。寺山修司作詞の曲はヒットし、『書を捨てよ町に出よう』はベストセラーでした。詩集も売れてました。歌人として国語の教科書にも採用されてました。テイストがマイナーなのであって、存在はメジャーです。

精神性が強い、批評性が強い、実験性が強いといった作品の質がマイナーという区分の中に含まれる条件になっていて、漫画で言えばつげ義春だってそうです。つげ義春は繰り返し単行本化されて、トータルで言えばベストセラー作家ですよ。

今もそういう存在はいますが、これまでと同じような意味でマイナーという区分は成立はしにくくなってきたことを奥野君は指摘しています。今の時代のマイナーはただ「人気がないもの」になってしまいかねない。

 

 

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