松沢呉一のビバノン・ライフ

田嶋陽子の「奴隷論」は男女の差異を固定する—田嶋陽子著『愛という名の支配』を褒めたり貶したり貶したり[13]-(松沢呉一)

愛や結婚に対する疑問に共感があった—田嶋陽子著『愛という名の支配』を褒めたり貶したり貶したり[12]」の続きです。

今回も図版はこれを書いた2019年末に起きていた香港の民主化運動で闘っていた女子たちです。

 

 

私の変化・社会の変化

 

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単行本の段階では結婚制度への疑問として好意的に受け取れていた、田嶋陽子の「結婚する女は奴隷である」というフレーズを、文庫の段階では受け入れられなくなっていたのは、第一に、この四半世紀の間に私自身、個人主義の考え方を強めたためかと思います。

田嶋陽子も書いているように、フェミニズムの根幹にあるのは個人主義です。人は属性による規範で行動を制限されるのではなく、個人で判断、決定していい。その決定を許さない制度を改善していくのがフェミニズムが求めることです。

「社会にある正しさ」に対する、別の「集団としての正しさ」をぶつけるのではなく、何が正しいかは個人が決定していいものとし、その個人の決定は他者が否定すべきではありません。

結婚するのもよし、しないのもよしであり、第三者はそれを否定する権利はない。それを否定することこそが新たな規範となり、パターナリズム的押し付けです。

二番目の理由は、「女は男の奴隷」とひとくくりにできる状態ではすでになくなったことがはっきりしたってことです。これについては「田嶋論では日本には男女の差別が存在しないことになる—田嶋陽子著『愛という名の支配』を褒めたり貶したり貶したり[2]」で数字を検討した通り。女の方が幸福で楽しいと女たち自身が感じているのが今の日本です。田島論ではすでに日本に差別はないことになります。

あくまで「田島論では」ですけど、私自身、「女は奴隷である」というかつては成立した男女の図式はまったく成立しなくなっていると感じていることは「奴隷船の比喩が有効だった時代と無効になった現在—田嶋陽子著『愛という名の支配』を褒めたり貶したり貶したり[3]」に書いた通りです。

そもそもど゜例をめぐる学術的な論究において、奴隷の定義は狭くて、明治以降、妻の座が奴隷に該当するケースがあったとしても、ごくごく稀であって、いやしくも大学の教育者が思いつくまま自分の定義で言葉を使うべきではないという問題はここでは置くとしても、どんな定義を持ち込もうとも、結婚制度がおしなべて奴隷制度であるなんてことは言えまい。

奴隷モデルが成立するような社会は今もあるでしょうが、少なくとも日本はそんなに状態ではない。日本では、波風が立ったり、白眼視されることはあれども、個人の決定が相当までに実行可能になっています。「同性の結婚」など、それができない環境や事象はなおあれども、幸福と感じている女たちに対して、「そう思わされているだけだ。おまえらは奴隷だ」なんて決めつけるのは個人主義に反します。

12月1日付立場新聞の記事より。旺角でのデモがあって、そのあとくに揉めているわけではないのに、片っ端から持ち物検査と身体検査をしてました。警察は疑心暗鬼になっていて、茶髪のギャルでさえも容赦しない。こういうタイプのプロテスターが事実いるのですけど、ここでの彼女たちはたんなる通行人に見えました。用もなくバッグの中をあけて、体を触りまくるのは不当。さすがに女子の身体検査は女の機動隊員がやってましたが、同性だからいいってもんじゃなく。こういうやり方が中国共産党に対する不審や反発を生んでます。

 

 

進歩がない田嶋陽子

 

vivanon_sentenceこのふたつの理由から、「結婚する女は奴隷である」というフレーズの評価、そして、『愛という名の支配』という本の評価を私は大きく変えたわけです。

私が大きく変化したのに対して、あとがきを読んでも、田嶋陽子は田嶋陽子にとっての「フェミニズム」で、社会を語っています。「私フェミニズム」であり、「星占いフェミニズム」です。

田嶋陽子の母はたしかに彼女を抑圧しました。そのことから田嶋陽子は自分の母が奴隷であり、それを自分にも押し付けようとしていると感じたのでしょうが、しかし、母親は同時に弟も抑圧しています。母の「いじめ」は両者に向いていて、弟は勉強がおねえちゃんほどできなかったことで毎日母親に叱られていたそうです。

 

 

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