松沢呉一のビバノン・ライフ

スカートの短さをエロとしかとらえられない全国フェミニスト議員連盟を歴史から批判する—(松沢呉一)

「「鬼滅の刃」を素材に「大正時代の女学生は下着をつけていたのか?」を解説する台湾の記事を読んで「女性の社会進出と裾の長さ」について考えた」の続きです。

 

 

スカート普及に寄与した乗合自動車の車掌

 

vivanon_sentence戸定梨香を性的対象物だとした全国フェミニスト議員連盟についてまだ続きます。同類の人たちがどうせまた湧いてきましょうから、論じるべきところはできるだけ論じておいて、今後に備えた方がいいと思います。

本の山の中に積んであった岡満男著『この百年の女たち—ジャーナリズム女性史』を読み始めたら、「スカートの下に腰巻き 洋装ことはじめ」という章がありました。和装から洋装、ズロースの着用、女学生の衣装といったテーマをまとめたものです。

これを読んで、女学生の袴姿についての図版をネットで見ていて、「「鬼滅の刃」を素材に「大正時代の女学生は下着をつけていたのか?」を解説する台湾の記事を読んで「女性の社会進出と裾の長さ」について考えた」で取り上げた自転車に乗る女学生の引札を見つけたのでした。

その引札を取り上げた台湾の記事の内容は「スカートの下に腰巻き 洋装ことはじめ」と7割方同じ。「あの頃、下着はどうしていたんだろう」と調べると、同じところに行き着くってことでもあるのでしょうけど、「この本も読んだんじゃないかな」と思うくらいに近い内容でした(『この百年の女たち』に書かれていない内容も書かれているので、読んでいたとしても、これだけで書いたわけではありません)。

この百年の女たちで初めて知ったのですが、日本で最初にスカート姿の車掌が登場したのは大正9年(1920)、通称「青バス」と言われた東京市街自動車会社(のちに東京乗合自動車に改称)でした。同社はこの前年から東京初の乗合自動車の営業を開始しています。

この頃は女学生もまだ袴です。物珍しさもあって、スカート姿の車掌を見るために人が集まったくらいに大好評で、他のバス会社もこれを採用していきます。足元を動かさない立ち仕事だった女工たちは着物でしたが、この頃、女性の社会進出が盛んになって、デパートガール、タイピスト、マネキンなどの横文字職業はたいてい洋装であり、銀行員などの事務員もスカートが制服となっていきます。

あっという間にスカートが町に溢れ、この流れがモダンガールを生み出します。モダンガールはオシャレでありつつ、あばずれであり、社会から叩かれる存在でしたが、女性の社会進出と大いにリンクした存在であり、以前から指摘しているように、「新しい女」を実践的に継承したのがモダンガールだったと見ることも可能です。

その先頭に立ったのが車掌であり、これも活動的な職業だったがゆえですし、車掌は女性の社会進出を象徴する職業のひとつですから、短いスカートにこそ婦人運動が望んだことの成果が表れていると見ることが可能です。

当然、スカートとなると洋髪です。本書では髷について軽く触れていて、男の丁髷は職人など一部に残りながらも、開国10年でほとんど消えたのに対して、女の断髪は叩かれ続けます。洋髪になり切る前の束髪の時代が長く続いて、洋髪が一般化するのは、明治末期以降でしょう。その時代になったことをバスの車掌が広く知らしめました。

※Wikipediaより「東京乗合自動車のバスと女性車掌(白襟嬢)」(1934年、撮影:石川光陽)

 

 

ミニスカートの多義性を無視する全国フェミニスト議員連盟

 

vivanon_sentence今現在「なぜ短いスカートが好まれるのか」を合理的に説明する道筋はいくつかあるでしょう。全国フェミニスト議員連盟は、あれを性的対象のアピールだととらえたように、短いスカートから「エロアピール」を感じとる人たちは現にいるでしょう。日本ではそんなことはないですけど、街娼の盛んな国ではたいてい短いスカートですよね。

 

 

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