松沢呉一のビバノン・ライフ

いたるところに煙があった時代のタバコ—煙が消えた社会[上]-(松沢呉一)

 

火と煙がつねに身近にあった頃

 

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嫌煙家と愛煙家の対立をまとめた本を読み始めてすぐに、タバコが嫌われるようになった一因として、生活から煙が消えたことが挙げられていました。多くの煙が消えて、残ったタバコが不快感を一手に引き受けてしまったのだと。なーるほど。

かつては家の中で薪に火をつけて米を炊き、湯を沸かしていました。暖房は囲炉裏だったり、火鉢だったり。タバコと火鉢は切っても切れない関係にあって、火鉢の炭から煙草に火を付け、煙管や紙巻たばこの灰は火鉢に捨てる。

ガスや電気と違って、どうしたって煙が出る。その中にタバコが位置していました。

この話を知ったあとで読んだ岩野喜久代著『投込寺異聞』は小説集なのですが、昭和初期の庶民の生活が活写されていて、火と煙を意識して読んでしまいました。

同書でもっとも長い小説「愁婦草」の一文。

 

おかみさんは人に叱言を云う時の癖で、煙管で長火鉢のふちを二、三度強く叩くと、大きく据わった目でジロリと相手をにらんだ。

 

浜町にある旅館の女将です。自分のことを「オレ」とまでは言ってないですが、小説に描写された女将さんの言葉を見ても気風のよさがよく伝わります。

彼女は酒を嗜み、使用人たちに猥談を語ります。それが自分の役割だと心得てのことなのですが、学者肌である長男の嫁はそんな下町然とした家風を嫌います。おそらく嫁は酒もタバコもやらないのだろうと思います。

この女将は小説の後半で、脳溢血で倒れるのですが、倒れたのも長火鉢の上でした(長火鉢の上に伏せて意識を失った)。

これ以外にも長火鉢は出てきますし、煙管も何度か出てきました。小説にとって、火鉢や煙管は人物の内面を表したり、文章の間合いをとるのに便利な小道具でもあったのでしょう。

この旅館の次男夫婦は高井戸に住んでいて、隣家から十能(じゅうのう)で炭の火をもらってくる描写があります。十能はこのように、火のついた炭を入れたり、灰を捨てたりする時に使う小型のスコップです。私が子どもの頃は石炭やコークスをストーブにくべるのに使いました(しかし、十能という名称は使っていなかったように思います。ただの「スコップ」じゃなかったかな)。

炭に火がつくまでは時間がかかるので、暖房用、調理用に火のついた炭をもらってきたわけです。

この高井戸の夜を歩くのに提灯を手にする描写があります。街頭があったのは一部の繁華街だけですから、あとは提灯や行灯を使ったのです。昭和になってからでも。

このように昔の日本では、火がつねに身近にあり、それに伴って煙も身近にありました。それだけに火災も多かったわけです。

投込寺異聞』についてはまた改めて取り上げるとして、煙の話を続けます。

※今もアマゾンに売られている十能。832円。

 

 

薪や石炭の時代

 

vivanon_sentence昔の日本家屋がいかに隙間が多かったとは言え、家の中に煙が充満する時間があったことは想像に難くない。煙突さえなかった家は煤だらけになったために年末には煤払いをしました。

長屋では、玄関の前に七輪を出して魚を焼き、その煙があちらからもこちらからも上がっていたわけです。サザエさんちのお魚が猫にもっていかれたのはそんな時代のイメージじゃないでしょうか。猫は火を怖がるので、七輪にかけた魚はもっていかないと思いますが。

 

 

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