岸田俊子「同胞姉妹に告ぐ」(1884年)の先駆性を確認する—日本で初めて男女同権論を著したのは福沢諭吉ではない[上]-(松沢呉一)
早坂若子「口紅と女性の歴史」を補足する
「唇が物語る」シリーズで:取り上げた早坂若子「口紅と女性の歴史」は大変参考になりましたが、「ここは違わないか」という点があったことはあのシリーズで指摘した通り。
また、唇・口紅とは関係のないところでも補足したくなる点がありました。
以下。
(略)明治にフェミニズム思想が日本に入ってきても、それを主張できたのは男性知識人のみであり、女性がフェミニズム運動を行うのはもっと後になったからだ。
「青鞜」の創刊は明治ですが、活動の大半は大正時代ですから、ここは無視してもいいかと思います。
たしかにそれまでもっぱらフェミニズムは男が主張するものでした。フェミニストという言い方も「女に優しい男」といった用法の方がおそらく多かったと思います。女を指すより男を指す言葉です。
というのは事実として、「男性知識人のみ」という言い切ってしまうと、こぼれる存在があります。ここを私の方から補足しておきたい。私自身、うかつにも最近まで日本で最初に男女同権論を主張した人物について誤解してましたので、改めてやっておきます。
岸田俊子「同胞姉妹に告ぐ」が日本初の男女同権論らしい
「スカートの短さをエロとしかとらえられない全国フェミニスト議員連盟を歴史から批判する」や「成女女学校の宮田修と常磐松女学校の三角錫子—井手文子著『自由 それは私自身』を40年ぶりに再読した[3]」などで、岡満男著『この百年の女たち—ジャーナリズム女性史』を取り上げました。
本書は二部からなるのですが、第一部の1本目は「新聞人第一号 岸田俊子」です。
岸田俊子(岸田湘煙。結婚後は夫の中島姓となり、中島俊子、中島湘煙に。原則ここでは岸田俊子で統一する)については、吉岡彌生が影響を受けた人物として以前軽く取り上げていますし、数日前に、三角錫子が影響を受けた人物としても名前が出てきました。
岸田俊子は自由民権運動の闘士であり、すぐれた弁士でした。彼女が男女同権論者だったことまではわかっていたのですが、『この百年の女たち』によると、日本で最初に男女同権を主張した人ということになるらしい。
私は「その前にもいるかもしれないけれど、暫定でもっとも早く主張したのは福沢諭吉」としてましたが、福沢諭吉は暫定2位に退き、1位は岸田俊子です。彼女は明治17年(1984)5月から6月にかけて自由党の機関紙「自由燈」に「同胞姉妹に告ぐ」を10回連載。福沢諭吉が男女同権論を初めて唱えた「日本婦人論」を発表したのは翌年のことでした。
本書の著者である岡満男氏はその内容に大いに感銘していて、5ページにわたって「同胞姉妹に告ぐ」の内容を紹介しています。疑うことのない男女同権論です。男尊女卑を否定し、男女の間に能力の優劣はなく、あるように見えるのは教育機会などの違いにすぎないと喝破。
彼女自身、「男女同権」という言葉を使っていたらしく、その男女同権に対して反対する意見にも批判を加えているところから、印刷されていないとしても、その前から男女同権論は唱えられ、反発されていたことがわかります(ただし、これは英語文献から得たものかもしれず、日本でそのような主張と反発があったのかどうか、はっきりしない)。
※Wikipediaより岸田俊子
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