松沢呉一のビバノン・ライフ

グローバルダイニングの長谷川耕造代表の言葉に感激した(気づくのが遅すぎ)—コロナ特措法違憲訴訟から学ぶべきこと-(松沢呉一)

 

 

ここまで見逃していたコロナ特措法違憲訴訟

 

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昨日はコロナ特措法違憲訴訟に関する動画を観たり、資料に目を通したりしてました。

以下は弁護団(倉持麟太郎弁護士・金塚彩乃弁護士・水野泰孝弁護士)によるオンライン報告会。

 

 

迂闊なことに、私はこの訴訟を全然追ってませんでした。それどころか認識さえしていませんでした。

「営業時間短縮や深夜営業の自粛に意味なんてないだろ」と言い続けてきた私にとっては、原告の立場を支持していいはずで、どうして認識してなかったのか自分でも不思議です。

SNSをまるで見なくなっていることも原因になってましょうが、たぶんこういうことなのではないかとの推測はできます。よその国ではマスクを義務化して、屋外でさえもマスクをしていないと逮捕されるような事態が生起し、時にはリンチされたり、射殺されたりしていたのに対して、日本での行政の姿勢はただの推奨です。あとは店舗側から「マスク着用をお願いします」というお願いがあるだけ。

屋内では注意されることがあっても、屋外で注意されたことは一度もなく、空いている電車の中でマスクしていなくても注意されたことはありません(そこそこ混んでいる電車ではマスクをしています)。強制されないという意味で「日本はいい国」と言っていました。

店についても、自粛要請ですから、強制ではないですが、商店組合からの圧力で営業できないという話を聞いたりしてまして、「いい国」とは言いがたい。また、営業を自粛しないパチンコ店を吊るし上げるようなことまで起きて、これに対しては強い憤りを覚えました

それでも、緊急事態宣言中、要請を無視して夜中に営業している店はチラホラあって、応援をしていたわけです。

新型インフルエンザ等対策特別措置法の改正が審議されているところまでは気にしていたのですが、2021年に入って、私は中国、ベラルーシ、ドイツ、ウクライナ、ウガンダ、ロシアといった国々をずっと追っていて、国内のことに関心が向かわず、この関連についてはすべてすっ飛ばしてきたのだと思います。

CALL4というサイトがこの訴訟の拠点となってています。クラウドファンディングのサイトかと思ったら、「クラウドファンディングもできる公共訴訟のサイト」でした。コロナ特措法違憲訴訟のページに添えられているのはグローバルダイニングの長谷川耕造代表の写真

 

 

シャレオツな飲食店と民主主義、憲法、人権

 

vivanon_sentence今回この訴訟に気づいて、一気に関心を高めました。

原告の株式会社グローバルダイニングラ・ボエムなどを経営している会社です。まったく縁がないわけでもない。

しかも、長谷川耕造代表はたびたび民主主義のための裁判だと言ってます。

以下は訴訟を起こしたことを報告するお知らせから。

 

「コロナ措置法」違憲訴訟とクラウドファンディングについて

平素より、当社のレストランをご利用いただきましてありがとうございます。

私たちグローバルダイニングは、法的義務のない時短要請に従わないとする当社に対し、施設使用制限命令を発出した東京都を被告として、当該命令及びその根拠となる特措法が違憲・違法であることを理由に国家賠償を求める訴訟を提起したことをお知らせいたします。

この訴訟で私たちが目指すことは、経済的利益の獲得ではなく、民主主義国家としてのあり方について議論し、より良い社会に進歩することと考えております。

本件につきましては、多くのお客様よりご意見や応援のお声等をいただいており、様々な意見があることを承知の上、日本社会の問題提起として投げかけたいと考えております。

ご理解の程、何卒よろしくお願い申し上げます。

 

以下は長谷川耕造代表の意見陳述書の冒頭。

 

 私は1950年に横浜で生まれました。

以来、民主主義の日本で生きてきたつもりです。

今年5月3日は憲法記念日、国民の祝日でした。

その日本国憲法が日本の民主主義と人権を守ってくれるものと信じています。

 

グローバルダイニングは白金、西麻布、表参道、青山、自由が丘、お台場といった場所を得意としているシャレオツな会社です。その会社が民主主義を求めて裁判を起こしたことに私は涙をこぼしそうになりました。民主主義はゴールデン街だけにあるのではない。

この裁判は、時短要請に従わなかったグローバルダイニングに対して、東京都が施設使用制限命令を出したのは法的に正しいのか、感染防止の点で根拠があったのかという裁判の論点に留まらず、日本における政治の質、国民の質までを浮かび上がらせるものです。民主主義の質も。

これまでさんざん指摘してきたように、「新型コロナにどう向き合ったのか」には各国の特性が投影されていて、スウェーデンが独自方式を打ち出したことや、ここに来て規制撤廃を北欧諸国やオランダ、英国が実施していることを見ても、あるいは中国が徹底したゼロコロナをやり続けていることを見ても、個人主義と全体主義が対策に直結していることがわかります。

その点、個人主義の薄い日本では、「個々人で考えて個々人で対応すればいい」という発想にはなりにくいのですが、第二次世界大戦の反省から、国家と国民が一丸となって一方向に邁進することができにくい法律になっています。

その分、空気みたいなもので締め付ける。それを気にしない人たちは自分の判断を貫けて、その人たちにとっては「日本はいい国」。

しかし、大半の人は空気に従う、周りに従う、お上に従うのです。

上の動画の中でも、そのことは指摘されていて、東大や京大の学生にこの訴訟の話をすると理解はするのだけれど、それまでは「お上に逆らうのはとんでもない」という見方をしてしまっていたとの話が出てきます。法律を学ぶ大学生でさえ。

 

 

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