松沢呉一のビバノン・ライフ

OUNには反ユダヤ・親ナチス・反ナチス・反ソが共存していた—ステパーン・バンデーラからアゾフ連隊へ[付録編3]-(松沢呉一)

OUNをナチス協力団体と認定するのは正しいのか?—ステパーン・バンデーラからアゾフ連隊へ[付録編2]」の続きです。

 

 

ナチスの手下としてユダヤ人を虐殺した戦争犯罪者か、ナチスと闘ったパルチザンか

 

vivanon_sentence前回に続き、ボグダヌス・コズィについて。裁判でも、彼がOUNに所属していたことが論点となります。彼は米国移住当時は、英語がよくわからなくて、メンバーであったことを否定してしまったと証言。虚偽ではなく、勘違いだったというわけですが、OUNのメンバーであったなら、ビザさえ発行されない規則になっていたので、この弁明は意味がない。そのくらいに米国においてOUNは疑いのないナチスの協力団体ってことになっていて、そこのメンバーだったというだけでナチ党員と等しい扱いを受けました。

そこで彼はOUNは反ナチスの団体であり、ナチス協力団体であるという認定が間違っていると主張。ナチス協力団体ではなく、反ナチスの団体なのだと。

1981年、司法省所属の弁護士はソ連と東欧に調査に行き、コズィのことを記憶している証言者と面談をします。6人がコズィのことを記憶し、そのうち4人までがコズィがユダヤ人を殺すところを目撃していました。彼らは写真によって、コズィを特定する作業もクリアしていて、その記憶は信用がおけるものでした(写真との照合は信用できるかという問題もあります。次回参照)。

これに対してコズィは、彼が反ソの思想をもっているため、この裁判自体、KGBの陰謀だと主張。証言者たちはユダヤ人ではないため、ユダヤの陰謀という主張はできず、KGBの陰謀と言うしかなかったわけですが、ナチスの戦犯の裁判ではしばしば弁護側から「KGBの陰謀」という主張がなされています。とくに反ソの主張が強い人たちは、その部分でKGBに疎んじられるのだと言い張ります。これはまったく根拠がないわけでもないのが厄介です。

被告の証人として妻のヤロスラワ・コズィが証言をして、コズィは補助警官だったことはなく、警察官の服を着ることがあったのは、パルチザン活動のための扮装だったと証言。妻は夫の主張をなぞって、対ナチスのパルチザンだったと言い張るのでした。

※「ウクライナ辞典」より1929年のOUN最初の会議

 

 

コズィの証言に立ったペトロ・ミルチャック

 

vivanon_sentenceボグダヌス・コズィの証人でもっとも有力とも無力とも言えるのがペトロ・ミルチャックという人物でした。彼もまたウクライナ人で、OUNのメンバーであり、アウシュヴィッツに収容されていた経験もあります。博士号ももっていて、大学教授だった人物であり、著書も多数。一般的には信用が置ける人物(こういう人物であれば、インターネット上で触れられていいと思うのですが、この人もまた検索しても見つけられませんでした)。

しかし、彼はこの裁判自体がKGBとユダヤ人の陰謀だと決めつけ、証人たちもKGBに仕立てられたのだと主張。根拠はない。

著者たちの立場から、いかにも彼は問題がある人物だったとの印象を持たれるように記述している可能性もありつつ、おそらくここでの記述は現実に近いものだろうと受けとりました。「にるほど、こういう人ね」と納得できるのです。

彼は自分自身の体験をもとに、OUNについて「われわれは共産主義者やナチスと戦っていました」と法廷で断言。これに対して、傍聴席から「そしてユダヤ人に対しても!」と野次が飛びます。

このあとの休憩時間に、ミルチャックはトイレに行き、法廷に戻ってくると、「暴行を受けた」「トイレでユダヤ人に攻撃された」と騒ぎ出します。

裁判官が話をよく聞くと、たしかにトイレで傍聴人が彼を非難したことがわかるのですが、口頭で非難しただけなのが「暴行された」「攻撃された」になる。しかも、彼らがユダヤ人であるかどうかわからんだろうに。

こういう人です。

 

next_vivanon

(残り 1696文字/全文: 3308文字)

ユーザー登録と購読手続が完了するとお読みいただけます。

ウェブマガジンのご案内

会員の方は、ログインしてください。

« 次の記事
前の記事 »

ページ先頭へ