松沢呉一のビバノン・ライフ

20数年を振り返って感無量になった—参院選で要友紀子を当選させる総決起集会-(松沢呉一)-[無料記事]

「参院選で要友紀子を当選させる総決起集会」のお知らせ」の続きです。

 

 

要友紀子の行動の根幹にあるもの

 

vivanon_sentence昨日6月23日に中野サンプラザで開かれた「参院選で要友紀子を当選させる総決起集会」は、より多くの人に見せたい内容でした。

要友紀子は「強い人間」と思われがちで、今回の立候補を見ても、大胆な側面があることは否定できないですけど、それは彼女の一面にすぎません。

彼女があんな活動を続けてきたのは強さだけでは理解できない。彼女の行動の根源にあるのは悔しさです。なぜこんな理不尽なことが行われるのか。なぜ自分たちの声を聞いてもらえないのか。なぜセックスワーカーが殺されなければならないのか。なぜその死を見ようともせずに、道徳を守らんとする人々が勝手な法律を作ってしまうのか。

そのことが今回のスピーチではよく伝わったと思います。

長いつきあいですが、彼女が人前で涙を流しながら話をするのは相当に珍しい。悔しくて、電話の向こうで泣くことはありますが、私も彼女が泣く姿は初めて見ました。

その姿に感極まるところが私にもありましたが、その前から私は感極まっていました。彼女がこの20年ちょっとの間で獲得してきたものの大きさを実感したためです。

 

 

女芸人とセックスワーカー

 

vivanon_sentence2年ぶりの「下-1グランプリ女相撲」は本当に嬉しくて感動した—優勝は八幡カオル」に「長い間続けることがいかに大事か」を書いて、要友紀子の活動につなげようとしながら、長くなったし、「ふざけていると思われかねない」と判断してやめましたが、そのことを改めて書いておきます。

下-1グランプリを主催しているモダンフリークスの福田光睦代表もあの日言ってましたけど、とくに女芸人は寿命の短い人が多くて、3年くらいやったところで、「実家に帰って見合いをしろ」と言われたり、東京にいても恋愛、結婚、出産といったことを契機にやめてしまったりします。また、大手の事務所に移籍したことをきっかけに下ネタを封じる人もいます。

男の芸人でもそういうことはありますが、女の芸人の方がサイクルが早い。理由はいろいろあるでしょうけど、女が下ネタをすることに対する社会的プレッシャーが強いのだと思います。

そんな中で長く続けている八幡カオルは本当にすごいなあと敬服します。彼女はテレビでも活躍しながら、下ネタを突き詰めています。

ヤリマン・ライフを20年以上続けて、それを芸として昇華しているすぐイクよ出るよの2人も素晴らしいと思いました。

誰とは言わず、どことも言いませんけど。あの日の出演者の中には誰もが知る一部上場企業の社員もいます。バレたら懲戒必至ですが、それでもアレをやる。それ自体が闘いです。

女芸人とセックスワーカーは通じるところがあって、T-1グランプリ出場者には、白玉あものように、セックスワーク経験者もよくいます。彼女も性風俗、AVを通じてヤリマン人生20年くらいになるでしょう。

※八幡カオル。時節柄、選挙ネタです。ブラとパンツが見えてます。このネタの仕掛けです。パンツは青。色が飛んでしまいましたが、スカートは黄色。ウクライナカラー。本人はまったく意識してなかったですが。

 

 

セックスワーク関連の団体を維持する難しさ

 

vivanon_sentence寿命の短さはセックスワーカーも同じ。AV嬢であれ、風俗嬢であれ、寿命が短い。これについては要友紀子著『風俗嬢意識調査』にも数字が出ていますが、ヘルス嬢について言えば1年から2年程度で多くはやめてしまいます。

やめたい時にやめられる仕事であることを雄弁に物語る数字ですが、長く計画的に働き続けることが難しい仕事でもあります。「できるだけ早くやめる仕事」「最初からやらない方がいい仕事」とされる社会の視線によるところが大きくて、少なからぬセックスワーカー自身が内面化している価値観でもあります。

パッと稼いでパッとやめたいと考えている人たちが業界全体の環境改善をしようとはしないし、社会に向けてのアピールをしようとはしない。

これがセックスワークの運動体の困難になっていることを要友紀子は20年前からわかっていました。

日本はとくにその傾向が強いですが、どこの国でも継続性がないことが運動の難しさになっていて、現役のセックスワーカーだけで組織されている運動体は少ないかと思います。出てきても短期で消えます。

この辺についてはアジアのセックスワーカー団体のネットワーク組織APNSW(NSWPを構成するネットワーク)の理事である要友紀子が詳しいですが、非セックスワーカーや元セックスワーカーが中心になっている団体の方がずっと多いはずです。

これは困難のひとつでしかないですが、そういった困難を乗り越えて、よくぞここまで継続できたもんだと私は感無量だったのです。

その難しさについて、あるいは長く続ける意義についてはさらに細かく書いていこうと思ってます。

続きます

 

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