松沢呉一のビバノン・ライフ

要友紀子が立候補した事情—長谷川博史と山本夜羽音(洋一郎)と要友紀子[下]-(松沢呉一)-[無料記事]

2人の訃報にここまで一切触れてなかった事情—長谷川博史と山本夜羽音(洋一郎)と要友紀子[上]」の続きです。

 

 

要友紀子とのつながり

 

vivanon_sentence前回見たように、長谷川博史の訃報も、山本夜羽音の訃報も、教えてくれたのは要友紀子でした。

長谷川さんは売り専であれ、ソープ嬢であれ、セックスワーカーに対する理解のある人でした。HIVの対策をするのに、セックスワーカーの協力を得るのは当然です。さもなければ実態調査さえできない。

しかし、長谷川さんはHIV関連の活動をする過程で理解するようになったのではなく、もともとそういう人。セックスにポジティブであり、リベラルでした。

HIV関連の活動の中でBUBU張由紀夫ら、セックスワーカーたちとの接点があって、おそらくそこからの広がりだと思いますが、畑野とまと故・南智子とも親しく、要友紀子はその流れで知り合っているはず。私はその流れの前に、G-menの編集部で会ったのが始まりだったと思います。

「同性愛に対する無理解もセックスワーカーに対する無理解も、どちらもセックスフォビアに基づく」というのが長谷川さんがよく言っていたことです。自分自身の性のありようしか肯定できない人たちの問題なのだと。

よくいるのですけど、虐げられた哀れな同性愛者には同情するのに、ハッテン場でセックスしまくりの同性愛者は肯定できない人たちがその典型。肯定も理解もしなくていいのだけれけど、足を引っ張ったり、存在を否定するようなことを言い始めるのがいるので、タチが悪いです。

悪辣な経営者に搾取され、虐待される哀れな女には同情するのに、自身の意思でセックスワークを選択した女は肯定できないのと同じです。

どちらも集団を「同情」「憐憫」でくくって、低いところに押さえつけておきたい欲望の表れです。

長谷川さんはそういう大衆の欲望を逆手にとって利用するくらいにしたたかでもありました。

対する山本君は表現物としてのエロを肯定するスタンスに徹していて、LGBTにせよ、セックスワークにせよ、理解はするにしても、積極的に踏み込むことはしなかったはず。範囲を拡大せずに、自分の領域にあえて留まるようにしていると言っていたかもしれない。

表現規制に反対する場面では要友紀子や私との接点はあっても。セックスワーカーの集まりやLGBT関係の集まりには山本君が来ることはほとんどなかったかと思います。こっちも呼ばなかったかもしれないけれど。

山本君と要友紀子がどこで知り合ったか知らないですが(連絡網AMI関連か)、どちらもいろんなところに顔を出しているので、イヤでも知り合うことになりましょう。

なお、私が山本君と知り合ったのは、現世田谷区長の保坂展人がやっていた教育をテーマにした団体・青生舎だったと思います。代々木にオンボロ事務所があって、そこで会ったんじゃなかろうか。1980年代半ば。私は20代、彼はまだ10代だったはず。

しかし、記憶が定かではなく、あるいはそのあと彼が「秋の嵐」の活動をしている時だったか。「秋の嵐」のメンバーに知り合いがいて、彼らが原宿で情宣している時に会った記憶もうっすらあります。

※2015年の東京レインボープライドにて

 

 

誰もやらないから私がやる

 

vivanon_sentence長谷川博史と山本夜羽音のどちらとも知人というだけなら私も同じですが、要友紀子に驚かされるのは、そのとてつもなく広い人脈です。

親の影響もありそうですが、彼女は高校時代から社会問題には強い関心がありました。私は彼女が東京で大学生をやっている時に知り合っています。1998年くらいか。それこそ長谷川さんが主催する二丁目のイベントだったかもしれないし、SWASHの前身であるUNIDOS関連の集まりだったかもしれない。

その頃も彼女の活動範囲は広範でした。演劇やお笑いが好きな点はよくいるサブカル女子大生っぽくもあるのですが、その一方で政治家やアカデミズムとのつながりもあって、「なんでそんな人を知っているんだ」と驚かされることがしばしばでした。

労働問題、障害者問題、貧困問題などへの関心も強く、彼女がセックスワークについて発言する時にも、しばしばそれらが背景となっています。

そのうちのどれかを専門にしてもよかったはずの彼女がセックスワークに特化したSWASHの代表をやるようになったのは、そっち方面に「人材がいなかったから」ということもあるでしょう。「やる人がいないなら私がやる」と彼女は考えるタイプです。

というと、積極的、行動的な人物のようですが、往々にしてやむなくです。「こういうことをやる人がいればいいのに」と思いつく。それを提案しても、誰もやろうとしない。結果、自分がやるしかないということがよくあります。

労働問題であれ、差別問題であれ、教育問題であれ、貧困問題であれ、セックスワークをどうとらえるのかという問題に突き当たります。たいていの人は常識や道徳という安直な回答にすがって逃げてしまうのに対して、彼女は逃げませんでした。

もっとも解決されない矛盾が蓄積されているのがこの分野です。そこから逃げない結果がSWASHですし、そこを突き抜けることで、セックスワークは社会が抱える歪みやごまかしを逆に照射しますので、セックスワークを考えることは労働、差別、教育、貧困などなどを考えることでもあります。

空間的にも突き抜けて、SWASHは各国のセックスワーカー支援団体ともつながり、連携した行動をやってきていますし(写真は台湾のセックスワーカー支援団体COSWASに呼ばれた時にスピーチをする要友紀子)、彼女アジアのセックスワーカー団体のネットワークAPNSWの理事でもあります。

ここに至るまで時間がかかりましたが、彼女が政治家を目指すのは必然だったとも言えます。

 

 

参院選挙のこと

 

vivanon_sentenceほんの数週間前のこと、彼女から参院選に出ようと思っていると言われました。

今の今まで、彼女の口から「政治家になりたい」なんて言葉は聞いたことがない。あれだけ政治家や秘書とのつながりがあるのに。

そういったツテを活かしてロビイングをしていることがよくあって、また、政治家の方から「話を聞かせて欲しい」とやってきても、「もっと悲惨な話はないか」と、性風俗を否定するネタ漁りに来ただけであることがわかってうんざりしたり(共産党の女性議員です)。

そういう経験を経て、「自分がやるしかない」というところに至ったのだと思います。

いくつかの危惧はあり、また、立憲民主党の公認を得ることは難しいのではないかとも思いもありましたが、立候補すること自体には大賛成。セックスワーカーを利用する対象としてしか見ず、決してセックスワーカー自身の意見を聞こうとしない人々に対抗するには、無視できない存在になるしかない。

皮算用としては、セックスワーカー、元セックスワーカーだけでも軽く当選します。その全員が投票するはずはないですから、キャバクラなどの風営法対象の飲み屋で働く人々までを巻き込めば当選確実。

と簡単にいくはずもないですが、ともあれ今回は立候補した事実を残し、立候補者であることのメリットを活かして主張を拡散することができれば目的達成です。そのことによって、味方になる人たちの掘り起こしもできるし、逆に敵のあぶり出しもできます。

彼女の立候補は、セックスワークにおける四回転ジャンプであり、月面宙返りです。

 

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