松沢呉一のビバノン・ライフ

権威主義的人格と民主主義的人格—自分はどちらか見極めておく-(松沢呉一)

「野党は表現を潰す存在」「与党は表現を守る存在」という認識が広まってしまったことの困惑—今からどう是正できるのか」の続きです。

 

 

ロシアにおける性器表現についての解説

 

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ユリヤ・ツヴェトコワさんの性器表現が無罪になった件ですが、その後、検察は控訴しました。ロシアですから、判決はひっくり返されてしまうのでしょう。

あの件ついて、メデューザに、エカテリーナ・シュルマンという政治学者が一文を寄せてました。彼女はモスクワ高等社会経済学院の准教授ですが、ロシアのウクライナ侵攻に反対したため、「国外勢力のエージェント」と認定され、「ウクライナのナチスと共謀した」と家に貼り紙を貼られ、ロシアでの学者生命は断たれた模様です。現在はドイツ在住。研究者も続々国外へ。

彼女はメデューザで、テオドール・アドルノが提唱した権威主義的人格という考え方を援用して、法によって他者の行動を罰したがる人々の傾向を説明していました。

権威主義的人格はドイツのエーリッヒ・フロムが提示した考え方で、強者・権威・多数派を無条件に肯定して、弱者・大衆・少数派を否定する人格のことです。これと民主主義的人格とを対比させたのがテオドール・アドルノでした。

テオドール・アドルノは、ヒトラー独裁が成立するとともに1934年に英国に移住し、最終的には米国に亡命するのですが、それまではナチスの機関紙に寄稿するなど、ナチスに協力的だったことが批判もされています。彼自身にも権威主義的人格が入っていたのかもしれないですが、いいんじゃないですかね、それが間違いだと悟ったのだから。

自動翻訳ということもあって、エカテリーナ・シュルマンがこの権威主義的人格とわいせつ表現の取り締まりとをどうつなげているのかイマイチわかりにくいのではありますが、権威主義国家(全体主義国家)では、国民の下半身にまで介入したがるってことでしょう。

「ロシアはオゲレツな国家」ってことですが、刑法175条(わいせつ物頒布)が今もある日本も同じ。エカテリーナ・シュルマンの論に従えば、日本もまた権威主義的人格の国家だと言えます。

それを改善しようとしたのが要友紀子。それを潰そうとしたのが「立民関係者」と「デイリー新潮」でした。

ロシア語版Wikipediaよりエカテリーナ・シュルマン

 

 

他者の性行動・性表現に対する権威主義的人格と民主主義的人格

 

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たしかに、ヨーロッパや北米など、民主主義国家は性器を表現することができて、ロシア、中国はNG。日本もNG。日本の刑法175条をどう考えるかを問うと、その個人が権威主義的人格なのか、民主主義的人格なのかがわかるかもしれない。

刑法175条を肯定した上で、さらに表現の自由を侵害しようとする人々は確実に権威主義的人格です。法で厳しく取り締まれば世の中よくなると信じられる単純さこそ権威主義。

このことは、私がよく言っている「ほっとけばいいのに、どうして他者の下半身に口出ししたくなる人たちがいるのか」という問題の説明にもなってます。

「ビバノン」のバックナンバーを読んでいただければおわかりのように、「どうして他人の性のありようを否定しないではいられない人たちがいるのか」「見なければいいのに、なぜわざわざゾーニングを超えて覗き見してまで表現を否定するのか」「乱交パーティに参加している人たちは全員それを望んでいるのに、どうして公然わいせつになるのか」といった疑問についてたびたび書いてきました。

たとえば同性とセックスする人がいたって、ほっとけばいいじゃないですか。自分が迫られたら「うぜえ」とってことはあるだろうけど、そうじゃないなら、他人が誰とどんなセックスをしてようとどうでもいい。

 

 

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