松沢呉一のビバノン・ライフ

私自身が生きているのか死んでいるのかわからなくなっている—生きているのか死んでいるのかもわからないNのこと[追記編]-(松沢呉一)

生きているのか死んでいるのかもわからないNのこと」の追記です。

 

 

追記1/自分を落ち着かせる方法

 

vivanon_sentenceNが夢に出てきたのは8月9日。それから5日間というもの、ずーっとNのことを思い出しながら、「生きているのか死んでいるのかもわからないNのこと」を書き続けました。

決して大げさではなく、Nの夢を見て「胸が張り裂けんばかり」という形容がしっくり来る状態が続いてました。ジッとしていられない。かといってどこに出かければいいのかもわからない。

「亡くなった女房が夢枕に立つ」と言っていたじいちゃんの溌剌とした悲しみの言葉が少しわかったように思いました。内に収めておけないくらいの衝動があるのです。

私はその衝動を「生きているのか死んでいるのかもわからないNのこと」で発散しました。

誰かが亡くなると、少なからぬ人がSNSに文章を書きます。故人を知らない人に、いかに素晴らしい人格者であったのか、いかに素晴らしい作品を創りだしたのかを伝えたいという外向けの意図が生じていることもあるでしょうが、多くの場合、自分にとって故人がどういう人であったのかを再確認して、その生と死を自分の中で位置づけをし直すことで死による動揺を鎮めたいのだと思います。

「鎮魂」という言葉がありますが、鎮めたいのは生き残った側の魂ではなかろうか。

Nは亡くなったわけではないのだけれど、それと同じくらいの衝撃を受けてしまった自分を落ち着かせるために「生きているのか死んでいるのかもわからないNのこと」が私には必要でした。

※代々木上原の大黒湯。洒落た食い物屋やマンションが並ぶ代々木上原で異彩を放つ存在です。古い芸能人やスポーツ選手のサインやブロマイドが貼りだされ、脱衣場には懐メロが流れています。久々に行ったのですが、夏休みのため、高校生や大学生らしき集団が複数来ていて賑わってました。

 

 

追記2/「楽しかった時代」の終焉を教えられた

 

vivanon_sentence今はその効果もあってか、すでに落ち着いているのですが、これを書いたことによって、新たな疑問が生じています。

20年も経ってますから、その間にNが夢に出てきたことはあったと思うのですが、夢によって彼女の死を思うことは一度もありませんでした。なぜこのタイミングでこんな夢を見て、こうも彼女のことを思ってしまったのか。

冒頭に書いたように、長谷川博史氏と山本夜羽音君の死が私にとっては特別な意味を持ってしまったこととおそらく関係しているでしょう。

あの二人の死は、自分自身の死をも強く予感させました。その意味ではとくに山本夜羽音です。

彼が漫画を描けなくなって20年くらいになっていたんじゃないでしょうか。「描かない=描けない」は彼自身の内的な事情ですが、それでも何作かは描いています。それがきっかけになって、次々と新作を発表するという状態にもっていけなかったのは、描いても今の時代には合わなくなっていたことが理由になっていそうです。絵柄にせよ、ストーリーにせよ。

若い頃に漫画を発表したら最大10の反応があったとします。本人としては同じくらいの反応があるはずだと思える作品を50代になって描いて発表します。しかし、5しか反応がない。あるいは1か2しかない。若い頃と同じことをしているのに。歳をとるとどうしてもそうなります。

私もまた例外ではなく、もう20年、完全に世間とずれてしまっています。この差を埋めることはもうできないでしょう。私の中での満足感はなおあるとしても、ライターとしては終わってしまっていて、週に二回の銭湯の清掃員の方に「私の仕事」感があります。金銭的にはともかくも、あっちの方が求められている実感や仕事をこなしている実感があるのです。

その点、Nとのつきあいがあった頃、仕事は尽きずありました。自分のやりたいことをやりたいようにできるとは限らないけれど。そんな時代をNの存在は象徴しています。その場にいた私としてはそう自覚することはなかったですが、今になってみると、「楽しい時代」でした。その時代が完全に終わってしまっていることをNは腕を挙げて教えてくれたようにも思えます。

※記憶の中の大黒湯はもっと広々としていました。思っていたよりも狭かったのですが、浴槽が小さい方が「掃除がしやすくていいな」と最近は思ってしまいます。実際、タイルは少しも汚れておらず、毎日湯を入れ替え、丁寧に掃除をしていそうです。こういう銭湯はレジオネラ菌が増殖しにくいので安心。

 

 

追記3/歳をとると死が着実に近づく

 

vivanon_sentence生きているのか死んでいるのかもわからないNのこと」はたまたま見た夢に引っぱり出されたものですが、たったひとつの夢でそのあとしばらく頭が支配されてしまったのは、「歳」というのがやはり大きいと思います。

過去を振り返ることが少ない私にとって、Nは比較的よく思い出す存在ではありました。そうなったのは、そういう関係を欲していたわけではないながらも、Nとは「つきあう」という状態が成立し、年という単位で続いていたからだし、けじめのない終わり方のせいでもありましょう。

それでも思い出してはすぐにまた忘れてきたのに、今回ばかりはそうはいかなかったのは、私自身が明日にでも死ぬかもしれない歳になってきたこととも関係しています。若くたって死ぬ時は死ぬのだけれど、確実性の違い。

門前仲町のあの日を2人の最後としてすべて終わってしまっていいのかとの焦りみたいなものが夢によって引っぱり出されたのだと思います。

あらゆる人に対しても、「これで終わっていいのか」との問いは生じます。ふだんはできるだけ考えないようにしているのだけれど、その人物が亡くなった時に、「これでいいことにするしかない」という状態になってしまいます。だから人が亡くなると、「もう一度会っておきたかった」と悔います。会っても一緒なのに。あるいは会ったがために、死の衝撃は強まるのに。

野坂昭如の『色事師たち』のモデルになった元ポン引きの吉村平吉さんは、2005年に85歳で亡くなりました。吉村さんは「オレみたいな人間が長生きしてしまって、あとはみんな先に逝った」みたいなことを生前よく言ってまました。

吉村さんの葬儀の挨拶で号泣していた友人がいました。その人も80代だったのかな。

「あいつもあいつも全部亡くなってしまって、あとはオレしかいない」

そんなことを言いながらボロボロ泣いていました。

長生きするって辛いことなのだなあとその時思いました。徐々に私もそういう歳になってきています。

 

 

next_vivanon

(残り 2908文字/全文: 5616文字)

ユーザー登録と購読手続が完了するとお読みいただけます。

ウェブマガジンのご案内

会員の方は、ログインしてください。

« 次の記事
前の記事 »

ページ先頭へ