松沢呉一のビバノン・ライフ

なぜ現実を無視して、女の方が自殺者・詐欺の被害者・殺人の被害者が多いように思い込むのか—意識しにくい女性蔑視を「同情度」から読み解く-(松沢呉一)

今回は今までさんざん書いてきた「女子供バイアス」を「同情度」というもので捉え直した内容です。切り口が目新しいだけで、言っていることは今までと一緒です。もうわかっている人は読まなくていいかと思います。

 

 

同情の度合いは何によって決定するか

 

vivanon_sentenceマンタイ・テオの架空恋人騒動と国際ロマンス詐欺—会ったこともない相手を恋人だと思い込むマヌケたち」に、「統一教会のような悪辣な宗教団体に金を巻き上げられた人には同情しても、国際ロマンス詐欺の被害者にはあまり同情できない」と書きました。

あくまで私の場合であって、 「統一教会のような宗教を信じること自体もマヌケなので、どっちにも同情できない」という人もいるだろうし、「国際ロマンス詐欺は自分もひっかかりそうなので同情できる」という人もいるでしょう。

何にどの程度同情するかにおいては個人差があります。 これを「同情度」と呼ぶことにします。

以下、理不尽と思える点もあろうと思いますが、しばしば理不尽に同情は決定されます。その理不尽さをどう処理すべきかが本稿のテーマですので、いちいち「理不尽だ」と憤慨せずに先に進んでください。

「同情度」を決定するのは、第一には「被害の大きさ」です。同じ詐欺師に1万円とられたのと100万円とられたのでは同情の度合いは違って、1万円だったら「夢を買えてよかったじゃない」と言われそうです。

この場合、同じ金額でも「被害者にとっての金の価値」によって「同情度」は変化します。被害者が爪に火を灯すような生活をしながら、少ない収入から、将来のために貯めていた100万円を騙しとられた場合と、同じ詐欺で、金が有り余っている大富豪が毎月ギャンブルに使っている100万円を騙し取られた場合では、「同情度」はどうしたって違いましょう。

統一教会に億単位の金を寄付した人たちもいて、そうなると、「それだけ出せる金があるんだから、好きにしたらいいんじゃないか」って感情も働いてしまって、「同情度」が弱まる現象もあります。

※2022年8月4日付「東京新聞」 統一教会関係はあんまりチェックしていないのですが、家族が5億円寄付したなんて話も出ています。家族にはムチャクチャ同情しますが、本人が返還請求するならいざ知らず、将来相続するはずだった親族からの返済要求は資格の問題として難しいのではないか。親族には責任がないだけに、いよいよ同情します。

 

 

被害者の落ち度

 

vivanon_sentence被害者の側に落ち度があったか否か」も「同情度」に影響して、「国際ロマンス詐欺」では、「相手の素性を調べる」「相手のSNSを探して、何を書いているか読む」「似た事例がないか検索する」といった対策がとれるわけですから、それをしなかった側に落ち度はありましょう。これが「同情度」を決定する第二点目です。

詐欺のような犯罪の被害だけじゃなく、交通事故でも同じ。なんら落ち度がなく、道路にくぼみができていてハンドルをとられてガードレールに激突して怪我をしたのと、酒を飲んでいてガードレールに激突して怪我をしたのでは同情度は違い、後者では同情してもらえず説教されるのがオチです。

ロシアで逮捕された米のバスケットボール選手、ブリトニー・グリナーに同情できないのもこれです。ロシアで大麻オイルを吸引するなら細心の注意が必要です。それを怠った点につき自身に落ち度がありました。

ワクチンを打って副作用で苦しむ人に対して、私の「同情度」がいくらか減るのは、「ワクチンには副作用(副作用)がある」ってことを知ろうと思えば知ることができるからです。十分に情報が出されていないとか、厚労省にごまかしがあるとか、厚労省はしっかりとした調査さえしていないとか、同情すべき点もありますが、ひとつひとつ自分で考えることなく、周りに合わせている人たちはどっちにしたって周りに合わせてワクチンを打つわけで、そういう人への「同情度」はどうしても減りますわね。ゼロにはならないとしても。

※2022年3月11日付「アメブロ」 一度このことは取り上げておきたかったのですが、要友紀子を応援していた川田龍平議員はワクチンに慎重です。とくに子どもに対するワクチン接種とブースター接種。さすが薬害には敏感です。

 

 

「同情度」は属性にも大きな影響を受ける

 

vivanon_sentenceこれ以外に「加害者の悪質さ」も関わってきそうですけど、長くなってきたのでどうでもいいところは省略するとして、見逃されそうなポイントがあります。被害者の属性です。

前々から言っているように、交通事故で90歳の老人が車に轢かれて死ぬよりも、3歳児が車に轢かれて死ぬ方が痛ましい。この場合も運転手が酒を飲んでいるなどより悪質な方が痛ましいですが、それらの条件が同じだとしても、年齢で「同情度」に違いが生じます。

3歳児が左右を確認せずに道に飛び出して轢かれても、子どもを責める人はあまりいない。目を離した親が責められます。子どもが自己管理できないのは当たり前です。

 

 

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