松沢呉一のビバノン・ライフ

植野直花の言っていることは正しい。しかし、前提がずれている—公開から6年経って観たアニメ「聲の形」[7]-(松沢呉一)

石田将也が西宮硝子を気持ち悪がったのはそんなにおかしくない—公開から6年経って観たアニメ「聲の形」[6]」の続きです

 

植野直花が月

 

vivanon_sentenceこのシリーズの4回目に取り上げたユリマガールの動画の中で、学外で手話を使っていると、ジロジロと見る人がいて、「文句を言いたいけど、手話は通じず、口話も聞き取ってもらえないので黙るしかない」という話が出てきます。スマホに文字を書いて見せるとも言ってます。紙に書くより楽ではあれ、これも十分面倒ですわね。

自分の意思を健聴者に伝えたくても手話ができない相手だとスムーズには伝わらない。とくに子どもだと難しい。これが硝子の生き方に影響しています。

読唇術と口話によってコミュニケーションをとる技術を十分に得る機会がなかった硝子は、自分の周りでどんな会話が交わされているのか理解していないまま、かわいい顔でニコニコ笑ってすぐに謝ってしまう処世術を身につけます。

ニコッと笑って謝ればたいていの人は許してくれる。許してくれなかったのは将也や植野です。

彼らが欲しかったのは互いの理解です。それが得られなかったために苛立ちを募らせていきます。だからいじめていいってわけはないのですが、担任の竹内は、聴覚障害というのはどういうもので、硝子の場合、補聴器はどこまで音を拾えているのか、どこまで唇を読めるのかなどを丁寧に説明すべきでした。

 

 

もっとも硝子を受け入れようとしていた植野

 

vivanon_sentence

「聲の形」を観た1万人の人を対象としたアンケート調査で、「嫌いな登場人物」の1位は植野でしょうかね。その分、好きな人もそれなりにいそうです。私もそうです。私は粗暴なアバズレが好きなので、彼女の行動は念入りに観察してます。対して鼻っから彼女を嫌う人たちは、彼女が何を言っているのか聞いてないでしょう。耳が聞こえるのに、塞いではいけない。

小学校の時の植野は誰より硝子の世話をしていました。教師の言葉が聞こえない硝子の代わりに硝子の分のノートをとってあげたり、肩を叩いて順番を教えたり。「悪い意味での学級委員」は川井であり、仕切りたがるけれど、内容がない。対して植野は、仕切るわけではない個人主義者であり、内実のあるサポートをしてました。

学校の不備を個人として穴埋めをしていた分、負担が植野にのしかかっていたのに、その上、学校は手話を覚えることを生徒に押し付けてくる。彼女はそれに反発をしています。

筆談であれば改めて覚えなければならないこともないわけで、この上、手話まで覚えさせられるのかと反発するのは当然じゃないですか。

たとえば「クラスにウクライナ人が入ってきた時」を考えてみましょう。その生徒が日本語を覚えるための環境を整えないまま、学校が生徒に「ウクライナ語を勉強しましょう」と言い出したら、反発するのは当然ですね。挨拶くらいは1時間もあれば覚えられるので、たいした負担ではないとして。

硝子に対しても、本来は学校が手話通訳を雇うか、教員が手話を覚えればいいだけ。教員は今まで通り口で説明をしながら、硝子のために手話をすれば済むのに、これを生徒全員にやらせるのは不当ですし、無駄が多い。

あるいは、普通学校に来る以上は、硝子が唇を読み、聞き取れる口話ができるように学校が教えるべきですから、植野の反発は正しい。

そのような学校のやり方に対する不満はそのまま学校に向けるべきですが、小学6年生ではそうはならず、植野が好きな将也に同調する形で硝子に対するいじめに加担してしまいます。

そこは彼女の弱さでもありますが、この段階では将也への気持ちから硝子に悪意が向いていたのではありません。あくまで将也にとって硝子はいじめの対象ですから、嫉妬で植野がいじめていたわけではありません。植野は植野で中身のない硝子の笑顔と謝罪に苛立ってました。

 

 

next_vivanon

(残り 2043文字/全文: 3640文字)

ユーザー登録と購読手続が完了するとお読みいただけます。

ウェブマガジンのご案内

会員の方は、ログインしてください。

« 次の記事
前の記事 »

ページ先頭へ