松沢呉一のビバノン・ライフ

イランのプロテストで連日死者—ヒジャブを正しくつけていないだけで殺される国-(松沢呉一)

 

イランのヒジャブ着用義務

 

vivanon_sentenceどうしてもロシアのことが気になりますが、このところイランのヒジャブ騒動も気になっています(ヒジャブは女性の東部を隠すベールのうちの、顔を出して髪の毛だけを隠す形状を指します。今回はヒジャブですが、以下、広く一般に頭部を隠す布については「ベール」とします。ブルカ、ニカブ、ヒジャブの区分については「チュニジアのフェイスマスクとブルカ・ニカブ・ヒジャブの関係—ムスリムの女性が頭部を隠すことの議論を整理する[1]」参照)。

この問題はけっこう面倒ですので、まずは「ムスリムの女性が頭部を隠すことの議論を整理する」シリーズを読んでおいてください。

つっても面倒でしょうから、簡単に説明しておきます。しばしばベールは宗教規範に基づくと思われていますが、「イスラム圏で広く見られる伝統的衣装」に過ぎず、イスラム圏でも陋習として否定されて、政府がベールをしないことを推奨しているケースも少なくありません。しないからと言ってアッラーの教えに逆らうものではないのです。

宗教規範ではないのに、国によっては宗教警察(道徳警察とも言われる)が守ることになってます。イランもそうです。宗教警察は、法律とは別のイスラム法であるシャリーアに基づく警察で、逮捕する権利も刑罰を科す権利ももっています。

イランの宗教警察はガシュテ・エルシャドと呼ばれ、イラン革命によって、1979年以降、ヒジャブ着用が義務付けられています。これはシャリーアではなく、一般の法のようですが、取り締まりはガシュテ・エルシャドの担当。頭(の一部)さえ隠せばいいので、ルールとしてはそんなに厳しくはないのですが、ガシュテ・エルシャドが街角で監視していて、運用は厳しい。

Wikipediaより抵抗のシンボルとなったマッサ・アミニさん。イランでは、この程度隠していれば通常は問題ないはず。

 

 

ヒジャブ着用義務に対する抵抗

 

vivanon_sentenceこれに対しての抵抗運動があって、ヒジャブをつけない写真をSNSに出す行為やヒジャブを焼く行為に対しては厳しく取り締まられています。

これらの抵抗運動は、フェミニズム的文脈とともに、伝統対近代化という側面や反政府の側面もあって、男が女に強いていると単純化すると見誤ります。男の服装義務もあり、男女問わず同性愛は否定されますが、男の同性愛者が強く罰せられるように、男女をそれぞれに縛っています、

単純化した主張に対しては、女たちが「自分らの意思でベールをつけている」という反論が出ています。自分の判断で積極的に着用している女たちがいることは事実で、「ベールは男が女に強いるものである、よって性差別のシンボルである」という見方は「女の意思を無視するものである」というわけです。

いずれにしても、ベールはもともと宗教規範ではないながら、民族的、文化的衣装でありますから、フランスのライシテの考え方からすると、学校から排除が適切であり、私も学校や議会においては排除でいいと思っています。

フランスの公立学校でベールを排除したことに対して、「イスラムの排除」「多文化共生の否定」みたいなことを言いたがる人たちがいますが、イスラムを排除するのがライシテ。キリスト教も仏教も排除です。ライシテは、広くは多文化共生を目指すものですが、学校においては多文化不要。文化的主張はすべて排除。

といった事情を理解して、今回の騒動に進みます。

※以下に出てくる「The Hindu」の動画より、今回のプロテストの様子。大半の人はヒジャブをつけておらず、そのために逮捕者が多数出ています。

 

 

始まりはマッサ・アミニ

 

vivanon_sentenceまずは問題の発端から。

クルド人のマッサ・アミニさんはヒジャブの着用に抵抗し、髪の毛を切り、ヒジャブに火をつけます(「マーサ」「マフサ」という日本語表記も見られますが、現地でははっきり「マッサ」と言っています)。

 

 

 

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