松沢呉一のビバノン・ライフ

矯風会とColaboの接点—Colabo✖️暇空茜[傍流編19]-(松沢呉一)-[無料記事]

ここに至ってもColabo擁護をする人々には呆れるしかない—Colabo×暇空茜[傍流編18]」の続きです。

 

 

仁藤夢乃の虚言を再確認

 

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数回前に簡単に説明したように、もともとこのシリーズは、Colabo問題の背景について書いておこうと思ったために「傍流編」としたのですが、日々出てくる疑惑について検討しているうちに戻れなくなりました。あまりに数が多くて、新規のネタを十分に検討するのも困難となっています。それをいいことに、新規の疑惑を追うのはここまでとして、今回はもともとやろうとしていた意味での「傍流編」です。

前回出した「エコーニュース」の関連記事を読んでいて気づいたのですが、「エコーニュース」で最初にColaboを取り上げたのは、2015年5月21日付「仁藤夢乃氏「日本は児童買春の国」・・・秋葉原でJKの服装をしただけの女性を写した写真を根拠に、外国特派員協会で記者会見が開催」でした。7年半も前。

 

 

この記者会見についてはぼんやり記憶しているだけで、細部は覚えていなかったのですが、この記事によると、秋葉原の街頭でおそらくは女子高生のコスプレをしてメイドカフェの客引きをやっているところの写真を出して、児童買春の現場だとしたとのこと。秋葉原で働いていたという触れ込みが本当であれば勘違いではあり得ず、完全な虚偽と言っていいでしょう。これができる人物にとって、もともとついていた傷であることを知りながら、「バスに嫌がらせされた」と騒ぐくらい屁でもないだろうと思います。

「エコーニュース」だけでなく、この時に方々から叩かれたと記憶していますが、彼女は「ウソはいけない」と学習することはなかったようです。むしろ「ウソはおいしい」と学習したのだと思います。これ以降も政党やメディアが彼女を取り上げていくわけですから。

「なぜこういうウソが流通してしまうのか」がこの「傍流編」で解明したいテーマの一つです。私は歴史的にウソが繰り返されてきたことを見ていこうと思っているのですが、仁藤夢乃が積み重ねてきたウソについては、「エコーニュース」が検証をしていますし、今回の騒動の中でも多くの人が指摘しているので、そちらを参照してください。

 

 

矯風会とColabo

 

vivanon_sentence「エコーニュース」はこの時期に何度か仁藤夢乃とColaboを取り上げており、今年の8月24日から改めて「野党の支持母体「一般社団法人Colabo」の分析」と題されたシリーズが始まってます。この記事によると、立憲民主党の元都議が、AV新法とColaboとの関係について批判的に取り上げたツイートをTwitterに投稿し、立憲民主党内からの批判によって削除したことがきっかけだったとのことです。

ここからハイペースでこのシリーズは公開されていて、同シリーズの22回目、23回目は矯風会を取り上げています。

 

 

一般社団法人コラボの分析(22)キリスト教婦人矯風会とコラボ①」は、禁酒運動からはじまった矯風会の歴史とその思想についてです。

繰り返し取り上げているので、「ビバノン」の読者にはすっかりお馴染みかと思いますが、その歴史の長さ、役割の深刻さに比して、一般的な矯風会の知名度は低い。今回のColabo騒動でも、矯風会に着目している記事はこれくらいじゃなかろうか。

しかし、矯風会が担ってきた「婦人救済」という活動の流れにColaboは位置づけられて、直接、間接に矯風会はColaboと関与しています。Colabo他の4団体の背後に矯風会がいると言っても過言ではないでしょう。

矯風会の正式名称は日本キリスト教婦人矯風会(設立時は「基督教」)。ここに出ている写真は初代会頭の矢島揖子。矢島揖子については「われ弱ければ人のせい—矢島楫子と矯風会」を参照のこと。33,000文字もありますが、仁藤夢乃を理解するにも役に立つと思いますので、ご一読ください。

矢島揖子の人生はウソで彩られています。亡くなる直前に親族である作家・徳冨蘆花からの追及を受けて、矢島揖子はついにそのウソを認めるしかなくなって、二代目会頭に伝えますが、二代目会頭も矢島揖子のウソを隠蔽しました。矯風会がどういう団体かわかりましょう。結局、徳冨蘆花がこのことを暴露して、広くウソの人生が知られるようになります。

その写真の脇に佐々城豊寿という名前が見えます。矯風会の創立メンバーです。これは有島武郎著『或る女』の主人公である佐々城信子の母親です。『或る女』は実際にあったことを小説としたもので、作品内でも十分イヤな人物として出て来るのですが、現実にはもっと酷かったらしく、豊寿は信子と国木田独歩との恋愛に反対し、世間体を保つため、娘を自殺に追い込もうとし、信子は遺書を書くまでに至ったそうです。

このエピソードが象徴するように、自由な生き方を求める佐々城信子に対して、矯風会は道徳や世間体によってそれ押さえつける忌むべき道徳団体として描かれており、クリスチャンの有島武郎にとっても女を抑圧する偽善的団体でしかありませんでした。

続きます

 

 

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