松沢呉一のビバノン・ライフ

ドイツの「犠牲者化」と日本の「女子供バイアス」—Colabo✖️暇空茜[傍流編28]-(松沢呉一)-[無料記事]

道徳団体と婦人運動を峻別した時代から、矯風会とフェミニズムを同視する時代への堕落—Colabo×暇空茜[傍流編27]」の続きです。

 

 

「おっぱい募金」でのパターナリズム

 

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寒さと関係があるのだと思うのですが、副鼻腔炎が悪化しています。つねに鼻が詰まっていて、鼻をかむと血が混じっています。鼻の奥がムズムズしてクシャミが止まらず。頭がボーっとしていて集中力が続きません。最近、更新しない日が増えているのはそのためです。

という状態なので、今回も軽く「傍流編」を書いて済ますことにします。これまでに「ビバノン」に書いてきたことの繰り返しなので、読んでいる人は飛ばしてください。

「どうして女の子だけ?」という当然の疑問—Colabo×暇空茜[傍流編26]」に書いたように、「女は無能で無力である」という思い込みを前提にして、「子どもと同様、社会は女を救済しなければならない」と考えてしまうことを「女子供バイアス」と私は称しています。この「女子供バイアス」によって生み出されるのが「サイレント・エピデミック」であり、パターナリズムでもあります。

パターナリズムは、日本語で言えば父権主義です。男だったらほっとくのに、女に対しては父親のように介入する。と書くと、パターナリズムの主体は男のようですが、女によるパターナリズムもよく見られます。

わかりやすいパターナリズムは、「おっぱい募金」騒動の時によく見られました。署名拡散をしていた弁護士は「自分の娘にはやらせたくない」と言ってました。お前の娘じゃねえよ。これは神原元という弁護士です。弁護士なのに間違った法理解を振りかざして告発すると騒いだ御仁です。

あるいは「自分の意志でやっている」と「おっぱい募金」に出ていたAV嬢が主張するのに対して、「そう思わされているだけだ」と言う人たちもいました。女は自分の意志で行動するはずがないという思い込みです。これに抵抗するのがフェミニズムだと思うのですが、そうはならない不思議。

✳︎Wikipediaよりウェンディ・ロワー(彼女については下記参照)

 

 

ウェンディ・ロワーが指摘する犠牲者化

 

vivanon_sentenceこの「女子供バイアス」は日本ではとくに強いのだろうと思うのですが、程度の違いはあれ、どこの国でも完全には克服できていないだろうと思います。

時代が遡りますが、その一例をドイツに見てみましょう。米国の歴史学者であり、米国ホロコースト記念博物館のディレクターであるウェンディ・ロワーはこれを「犠牲者化」という言葉で説明しています。

ウェンディー・ロワー著『ヒトラーの娘たち』は、これまで顧みられることがあまりなかったナチスドイツ時代の女たちの残虐さをとらえ直した本です。収容所の看守や看護婦で戦争犯罪者として裁かれた例もありますが、実際にはその何十倍、何百倍もユダヤ人殺害に関与した秘書やナチ党幹部の妻たちがいて、裁判になったケースでも無罪になっている率が高いのです。

なぜ女の戦争犯罪者は無罪放免になったのか。ウェンディ・ロワーこれを「犠牲者化」としています。戦後、「戦争は男が仕掛け、女はいつも犠牲者だった」という言説が蔓延って、女の加害者たちは見逃されました。

というのが著者の主張ですが、私は「犠牲者化」ですべてを説明しすぎと感じました。それ以外の理由でも説明が可能であり、おそらく複合的な理由だったのだろうと思います。

とはいえ、犠牲者化も一定の影響があったのは事実と思われ、ユダヤ人を虐殺した女の被告がわざわざ法廷に子どもを連れてきた例も出ていて、女たちも犠牲者と母親であることを強調して処刑を免れました。

「女子供バイアス」の強い社会では「犠牲者化」が成立するという関係です。

肉体的には女の方が弱いですから、虐待され、殺されるのは男より女の方が痛ましく感じるのは当然とも言えるのですが、「女子供バイアス」は単に肉体的な差から生ずるわけではありません。銃を持っていれば男女の違いはほとんどないですが、「女がそんなことをするはずがない」というバイアスとなって表れることがあって、ナチスドイツにおいて、女たちがユダヤ人を殺すことを楽しんでいたとの事実は受け入れられなかったのです。

 

 

トラウテ・ラフレンツの告白

 

vivanon_sentenceこのような「女子供バイアス」は戦前、戦中からドイツに存在していたことはトラウテ・ラフレンツが証言している通り。ラフレンツは、白バラ抵抗運動で重要な役割を果たした人物であり、白バラのリーダーと言っていいハンス・ショルの恋人でもありました。彼女が仄めかしているように、ハンス・ショルはゲイだった可能性が高く、恋人だったのは一夏だけでしたが。

以下は独のタブロイド紙「Bild」のインタビュー。

 

 

白バラの中ではハンス・ショルの次に位置付けられるべき存在と言えますが、処刑されなかったためと、戦後は米国に渡って、その過去を長らく語らなかったために、その重要さの割にはあまり知られていない人物です。

彼女はハンブルクにビラを持ち込んでいて、別ルートでハンブルクにビラを持ち込んだハンス・ライペルトは処刑され、そのハンブルクでも処刑されたのが何人もいるのに、彼女は捕まっても処刑されませんでした。彼女は数年前にやっと口を開き、処刑されなかった理由を「女だから」と言ってます。同じことをしても女に対して裁判所は寛大でした。

では、なぜハンス・ショルの妹のゾフィー・ショルは処刑されたのか。彼女が逮捕のキッカケを作ったためとも言えますが、最後まで自分の行為を恥じず、反抗的だったからです。泣けば助かったかもしれない。

収容所の看守には女も雇用されて、処刑されたのもいますが、処刑されたのはしばしば反抗的な態度をとっています。そうなると、途端にサディスト呼ばわりされます。イルマ・グレーゼがその典型。また、看守ではなく、ナチ党幹部の妻だったイルゼ・コッホもそうです。

ナチスについての名著とされる本はしばしば捏造や誇張に満ちていて、その捏造や誇張もまた「女子供バイアス」に沿う形でなされています(「V.E.フランクル著『夜と霧』」シリーズ「痛ましきダニエラ(人形の家)」シリーズを参照のこと)。

早くこれを克服すべきだと思うのですが、「女子供バイアス」を利用する仁藤夢乃のような人間がフェミニストと名乗っているのを見ると、暗澹たる思いがします。

続きます

 

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