松沢呉一のビバノン・ライフ

日本でホームレスになって自殺したイタリア人から学ぶことは「住む場所を理解すべし」—なぜ彼は日本語を覚えようとしなかったのか?-(松沢呉一)

 

自殺したイタリア人ホームレス

 

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「どのように日本は外国人を受け入れたらいいのか」というテーマをずっと気にしているわけですが、 世界の現状と制度についてわかってきた分、冷酷な見方もしてしまいます。

 

 

 

日本はもっと難民や亡命者を受け入れてもいいと思うのですが、相当に基準をゆるめても、自殺したルカさんを助けることは難しかったろうと思います。それと同時に、現行の制度においても、ルカさんがもうちょっとしっかりしていればこんなことにならなかったのです。そこは押さえておく必要があります。

彼がこうなってしまったのは精神疾患が影響していそうですが、もともとそうだったのか、あるところから発症したのか不明なので、これは無視します。

ルカさんは2005年から10年以上日本にいたのに日本語は話せないままだったようです。ネットの動画や書き込みは英語やイタリア語です。助けて欲しいなら日本語で書かないと近隣の人も気づけないって。イタリアには戻りたくないとしながら、彼が見ていたのはイタリアなのです。中国人がアフリカに行っても現地の言葉を覚えようとしないこと、ロシア人が他国でもロシア語に執着することと通じるものだと思います。住む場所を理解しようとせず、その地にいる人を理解しようとしない。

ルカさんは2008年に日本人女性と結婚。10年以上同居していたようです。妻との会話で普通は日本語を覚えるでしょう。あるいは妻は英語やイタリア語しか話さなかったのか? もしそうだとすると、妻は夫からイタリア語や英語を学ぶ気しかなく、彼自身も日本語を話す気がなかったのだとしか思えません。この一点で、この人は日本に住みたかったのではなく、イタリアではないどこか、アジアのどこかに住みたかっただけであったことがわかります。

日本では結婚して3年で永住権は得られるのですが、自動的に得られるのではなく、改めて手続きが必要。彼は手続きをしなかったか、審査ではねられたのでしょう。日本語がまったく話せないとおそらくはねられます。そりゃそうですよ。仮に3年目でそれに気づいたのであれば、以降のどっかの段階で奮起して日本語を勉強すれば良かっただけです。

「イタリアに戻りたくない。日本にいたい」というなら、結婚していない段階で日本語を覚えるはず。結婚できるとは思えていなかったでしょうから、永住権を得るか帰化するしかないじゃないですか。とくに帰化のためには日本語は必須です。

結婚するまでの3年間、どういうビザで日本に滞在していたのかわからないですが、デザインやカメラの技術があるので、そっちのビザかもしれないし、どこか受け入れてくれる会社を見つけて就労ビザをとっていたのかもしれない。しかし、賞をとったとは言え、日本語がまったくできないイタリア人では仕事は少なかったろうと思います。だから離婚するなりホームレスになりました。今まで仕事があったのだとすると、妻が通訳をしてくれていたのではなかろうか。

ロシア侵攻から1年、日本に来たウクライナ人で、仕事をしたいと希望している人のうちの6割が就労。来日して間もない人たちも含まれていましょうし、とくに男の場合は高齢者か病気持ちが多いから、就労率が低くなるのは当然ですが、あれだけ様々な企業が雇用していても、失業率4割ですよ。

皆さん口を揃えるように、日本語ができないと就労は難しい。翻訳機でなんとかなる仕事もあるでしょうが、なんともならない仕事もあります。だから年配の人たちでも日本語の勉強に一所懸命です。

なのに、ルカと来たら。

国によっては公用語が話せなくても就労ビザや永住権をとれますが、公用語が話せることが必須条件の国もあって、日本ではこの条件を外す必要はないと思います。よってルカさんのような外国人は今後も救われることはないでしょう。

 

 

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