なぜこれをおかしいと思えないのか—子ども食堂から男児締め出しの話を知って「ここまで来たか」と嘆息[下]-(松沢呉一)
「Colabo問題ともつながる「女子供バイアス」—子ども食堂から男児締め出しの話を知って「ここまで来たか」と嘆息[上]」の続きです。
こんなんがフェミニズムのわけがない
全日、母子家庭の女児のみを受け付ける子ども食堂があるのかどうかまではわからないですが、前回、自治体からの援助を受けながら、週に1回なりなんなりのレディーズデイを設けている子ども食堂が複数実在していることを確認しました。
これを肯定する論理が私には思い浮かびません。物価高騰で予算が足りなくなったとしても、男女で線引するのではなく、困窮の度合いで線引すべきでしょう。
女児排除だったら、「差別だ、キモい」と騒ぎ立てる人々がわらわらと湧いてくるのに、なぜこんなことができてしまうのでありましょうか。
以下が「赤の他人の男が損をするのを願うのが女という性か」のラスト。
ある日、よく訪れてたまに話す様になった男子が言った言葉が忘れられない。
「今日は食べれるの?」と。
勿論俺がスタッフにいる時は、男子らを拒絶する様な事はしていない。
自分がいない日に訪れて、そして断られたのだろう。
(略)
幼い弱者に、性別の違いなどある訳が無い。
「男子だから」救われない、拒絶される。そんな事はあってはならない。
(略)
なのに、一部の女は、男が少しでも得するのが許せない様だ。
男が損をするのが女の得になると思っているのかも知れない。
まるでフェミニズムだ。
この筆者は表記を「女性」「男性」ではなく、「女」「男」で統一しています。どちらでも統一されていればいいし、両者ともそれぞれにバラバラでもいいのですが、「女性」「男」のアンバランスな表記を常に使用している人には要注意です(これについては「女子の用法」を参照のこと)。
こんなものがフェミニズムのわけがない。しかし、現に仁藤夢乃や北原みのり、また、その周辺の人々のように、フェミニストとは思えない人々がフェミニストと名乗っている現実があります。
人は自分の不幸や思い通りにならないことを誰かのせいにしたい。それが自分自身によってもたらされたものであっても。その他責願望をすくいあげてくれるのが「狂ったフェミニズム」です。私の言うところの「星占いフェミニズム」です。
稀には星占いで、「ウクライナ戦争はいつ終わるのか」なんてことを知りたがる人もいるでしょうし、中国とビジネスをしている関係で「中国経済はいつ崩壊するのか」なんてことを聞く人もいるでしょうが、たいていの人は自分の身の回り数メートルの範囲で、家族関係や恋愛関係、仕事上の悩みの解決を星占いに期待するものでしょう。
それと同じで、自分のエゴに沿う形でフェミニズムらしきもので偽装し、実質的には家父長制によって作られた「女子供バイアス」を利用して自分の属性が有利になるように発想する。人によってこれで金を得る。
そうならないためには、むしろ本来のフェミニズムを学ぶ必要があるのですが、大半の人はそんな面倒なことはしたくないからこそ、「星占いフェミニズム」を救いと感じます。
ここに染まった人たちは「女」「男」という属性ですべてを語りたがります。そうした方が自分が有利だからです。これが現実を見えなくします。
こういうフェミニズムとは無関係のフェミニズムが、男児を飢えさせることをも肯定します。
都立高校の男女定員数にも不満をぶつけるアホ
子ども食堂から男児を排除したのが極稀な例とは思えないのは、場所や状況は違っても、同類の狂ったクレーマーの例がいくらでも挙げられるためでもあります。
その一例として、「視点が変わると評価が変わる—都立高校における男女不均衡定員」を読んでない方はぜひお読み下さい。都立高校では男女別に定員を決定していて、どこも男の数の方が多い。これをもって差別だと騒いだ底抜けのお馬鹿さんがいました。
なぜ都立高校では男子の方が定員が多いのかと言えば、中高一貫校は圧倒的に女子校が多く、一貫校じゃなくても高校は女子校が多いからです。とくに中高一貫の私立女子校は偏差値が高く、経済的に余裕のある家庭の賢い女子は高校受験をしないのが男子より多くいます。
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