松沢呉一のビバノン・ライフ

「私は契約や法より上位」と信じているらしき仁藤夢乃—こんな人に公金を委ねてはいけない-(松沢呉一)

 

「女子供バイアス」が肥大した仁藤夢乃

 

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Colabo×暇空茜[傍流編]」として、疑惑だらけのWBPCが放置されてきてしまった背景にあるのは「女は子どもと同じく無能で無力なので、社会は救済しなければならない」という伝統的道徳であることを説明してきました。私はこれを「女子供バイアス」と呼んでいて、さまざまなところで、「自分で解決できる男は放置していいが、女は税金を投下してでも救わなければならない」という考えが蔓延っていることを見てきました。これに貼り付いているのは、「危険の多い社会に出ずに、女は家庭で子どもを産んで育てるのが責務」という考えです。

これこそフェミニズムが乗り越えなければならない旧弊のはずなのに、フェミニストを名乗る人々が、「女子供バイアス」を内面化し、それを利用しています。自分に責任があっても、「私たちは女というだけで弱者であり、つねに被害者なので助けてぇ」と救済を求め、救済されないと攻撃してきます。

さらには北原みのりのように、宗教道徳団体をもフェミニズムの歴史に組み込む「歴史修正」をやる「フェミニスト」までが登場しています。ホントに道徳がフェミニズムに見えているのだと思います。驚くと同時に呆れます。

Colaboは「女子供バイアス」に則った言動を連発しています。3月8日の歌舞伎町で、仁藤夢乃は都庁から離れて東宝シネマズ横まで出張っていき、煉獄コロアキ宏洋らと出くわし、彼らに詰められて、仁藤夢乃は警官に助けを求めますが、んなこと言われても、警察はどうしようもない。

これに怒って警察を攻撃していますが、どうして警察がコロアキらを逮捕したり、拘束したりできましょう。法律を超えてそんなことができるはずがない。こんなことを警察ができるようになったら、辺野古の座り込みだって全員即逮捕ですよ。

なのに、かわいそうな自分を守らないとして警察を非難。仁藤夢乃らは「女子供バイアス」独裁社会を欲しています。恐ろしい。

すでに数字を減らしてごまかしてますが、仁藤夢乃は30人に囲まれたとあからさまな噓を言ってました。「かわいそうな私はそのくらい怖かった」ということでしょうが、早く現実と妄想の区別ができるようになるといいですね。

区役所前での騒動を危惧する都庁が、22日のバスカフェ実施に対して、安全を確保するための計画書を出して欲しい、それができなければ場所を変更するか、中止にして欲しいと申し入れたことにも激怒して、提出したのは署名と要望書だけだったようです。

 

 

第一にはコロアキらが悪いとして、その対応にミスったから一層騒動が大きくなって、通行人にも迷惑をかけているわけです。毎日やっているわけでもないですから、「あんたらのことが都議会で問題になっていることでもあるので、落ち着くまでやめた方がいいんでないかい」という東京都の老婆心もあったのかと思いますが、どうしてもやりたいなら安全策を考えるか、場所を変更し、その計画書を提出すればいい。その余地を東京都は残していました。

「当方にも不備があったので、通行人を撮影したり、怒鳴ったりするようなことはやめ、喧嘩腰の警備専用弁護士も呼ばず、専門の警備会社に安全の確保と動線の確保を依頼します」とやればよかっただけでしょう。本当に必要だと思っていればそうすべきです。弁護士を警備員として使うより、そっちの方が安いのではないか。

なのに、安全策の提示をしないまま、習い性になっている「女子供バイアス」を発揮して都庁を攻撃しつつ、要望書を出しています。「安全策は東京都が考えろ」「か弱い女を守れ」ってことでしょう。

 

 

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