松沢呉一のビバノン・ライフ

ヤリマンであり続けるための知恵—福田光睦著『なぜ、私は誰とでも寝てしまうのか』の感想[3]-(松沢呉一)

我がヤリマン論が崩壊した瞬間—福田光睦著『なぜ、私は誰とでも寝てしまうのか』の感想[2]」の続きです。

 

 

「ヤリマン」「寝る」という言葉

 

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なぜ、私は誰とでも寝てしまうのか~令和女性10人のセックス黙示録』は好調らしいし、「ビバノン」ではヤリマンは定番の人気ネタなのに、なんでゲームの話の方が読まれてんだ?

延々と続けようとも思っていたのですが、これでは本の宣伝にならないことでもあるので、今回で終わります。どうしても書いておきたいことができたら、また書くかもしれないとして。

本題の前に、イベント告知の回に書いた「なぜタイトルに“ヤリマン“を入れなかったのか」問題について書いておきます。双葉社の編集者に聞いたところ、上司がキッパリ拒否したとのこと。「書店が注文してくれない」「書店が面出ししてくれない」「客が手にしにくい」「広告を拒否される」「社内でも口にできないのがいる」など。

私や福田君にとっては「星野源」「EV車」「つばさの党」といったタイムリーな言葉より口にすることが多く、なおかつ肯定的に使用するワードですが、世間一般、今なお忌避しなければならない言葉であることを実感しました。

確実に部数に影響しそうですからしゃあないですけど、「なぜ、私は誰とでも寝てしまうのか~令和女性10人のセックス黙示録」というタイトルはどうなんかという疑問が次に浮上します。

「寝る」は「セックスをする」の婉曲表現であり、私はまず使わない。「ヤリマン」という言葉は、「セックスをたくさんしている女」という以上の意味はなく、「ヤリチン」はその男ヴァージョン。本来そこには価値評価が含まれていません。直接的表現の「ヤリマン」から、「寝る」という婉曲表現に飛びすぎかと。

また、「なぜ、私は誰とでも寝てしまうのか」だと覚えにくいし、略しにくい。たとえば「誰とでもセックスしてしまう私」だと「誰セク」と略せます。

もう出てしまったので、まあいいか。

では、『なぜ私誰』(無理矢理略してみた)のトップバッターであるチアキの話を続けます。以下の話は、当日語ったことですが、会場にいた方々、配信を観ていた方々以外の人たちのためにここでも書いておきます。

 

 

能力の向上とヤリマンであり続けることの対立

 

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誰とやってもセックスは楽しい。セックスが下手でも下手なりに楽しい。これが「ヤリマン界の大谷翔平」と称されるチアキの姿勢です。大谷だったら、「ホームランを打てるピッチャーと対戦するのは楽しい。なかなか打てないピッチャーと対戦するのも楽しい」と言いそうです。

私も風俗ライター時代は、どんな相手でも楽しむことを心掛けていました。いいところを探す。面白い話が聞けただけでも、満足できます。それでも限界越えはあるのですが、極稀です。

よく「ババアが出てきた」「おデブが出てきた」なんて愚痴るのがいますが、。「その不満は自分に度量がないためだ」なんてことを私は言ってました。3ヶ月に1回くらいしか遊べる余裕のないヤツだと、その1回に賭ける期待の重さが失望を招くこともあって、毎週遊んでいるヤツは「次がある」と思える余裕が楽しさを底上げします。

前回書いたように、一方で、舌が肥えて、危険察知能力が上がるため、「合わないな」「やばそうだな」と事前に選別できるようになります。これと、ヤリマンで居続けることは対立するところがあります。

しかし、チアキはそんな葛藤はなさそうで、自然体でやり続けているのがすごいところです。

なおかつ彼女はほんの数年前に初めて風俗デビュー。風俗嬢になる最後のチャンスだというので、名古屋名物である熟女店で働き出し、それはそれで楽しいようです。

彼女はプライベートにせよ、仕事にせよ、危険な目に遭ったこともない。「運がいいとしか思えない」と本人は言ってましたが、何か知恵があるのだと思います。その自覚がないのが天才たる所以です。

✳︎Egon Schiele「Standing Nude with a Patterned Robe」 図版がないので、ひさびさに著作権切れの名画です。

 

 

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