私はテレビで死体写真評論家と名乗っていたらしい—人間の記憶はいい加減、とくに私の記憶はいい加減-(松沢呉一)
金曜日は高円寺へ
今週金曜日です。
「高円寺パンディット」になってますが、パンディット2です。熱帯魚屋の斜向かい。まだ行ったことのない方はこの機会にパンディット2体験をしてみてはどうか。人生が変わるような衝撃も仕事で役立つ情報も期待できないことは保証します。
パンディット2での忘年会
そのパンディット2で、昨年末にカメラマンの酒井よし彦呼びかけの忘年会がありました。パンディットの出演者の中で、「パンディット2の方がいい」と言っているのは私と福田君だけらしいのですが、飲み会の場所としては使いやすいので、ご利用ください。
その忘年会に死体写真家の釣崎清隆がいて、釣崎さんは私に近づき、こう言いました。
「テレビで、
死体写真評論家と名乗っていたことがありますよね」
まったく記憶がない。
「いやあ、そんなことを言ったことはないと思うな」
そう答えたのですが、よーく思い返してみると、別冊宝島「死体の本」で、「死体写真の日本史」みたいな原稿を書いたことがあって、その原稿のためにけっこうな時間を費やしました。その頃に「死体写真評論家」と思いつきで口走ったことがあったかもしれない。その記憶は蘇らないですが、現にテレビで観たのであれば、そうだったのだろうと思うしかない。
「死体の本」は1995年に出ています。30年前。30年前の記憶なんてこんなもん。記憶が薄れ、時に完全に消去されてしまうことだけじゃなく、繰り返し思い出すことによって記憶が強化されることもありますが、その際には無意識に改竄してしまうこともあります。メリットを求めて意図して捻じ曲げることも。自分から望んでやっていたことなのに、「社会から強いられた」「私たちは買われた」なんて被害者ヅラをするのがその典型。
このことを前回書こうと思ったのですが、瞬時に忘れました。
(残り 1359文字/全文: 2166文字)
この記事の続きは会員限定です。入会をご検討の方は「ウェブマガジンのご案内」をクリックして内容をご確認ください。
ユーザー登録と購読手続が完了するとお読みいただけます。
会員の方は、ログインしてください。
外部サービスアカウントでログイン
Twitterログイン機能終了のお知らせ
Facebookログイン機能終了のお知らせ