柳下毅一郎の皆殺し映画通信

『奇跡のリンゴ』 狂気によって収穫されたリンゴ (柳下毅一郎) -3,825文字-

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『奇跡のリンゴ』

監督 中村義洋
脚本 吉田実似・中村義洋
撮影 伊藤俊介
音楽 久石譲
出演 阿部サダヲ、菅野美穂、山崎努、池内博之、原田美枝子

文化庁文化芸術振興費補助

 

ico_yan 秋則は変わった子供だった。子供のころからおもちゃと見ると分解せずにはいられなかった。身近にある電化製品はみな片端から分解してしまう。秋則は物事の「答え」を探していた。どんなものにも答えはあるし、頑張れば必ず答えが見つけられるはずだ。高校ではバイクを改造して大事故を起こしたり、学祭のバンド演奏で改造アンプを吹き飛ばしたり。高校卒業後は「農業みたいな効率の悪い商売は嫌だ」と上京、電子部品工場で生産管理の仕事をする。だが家庭の事情で青森に呼び戻されることになる。そこへ持ち込まれた見合い話。ダダをこねる秋則(阿部サダヲ)を無理矢理見合いに引きずっていくと、そこへ待っていたのは高校時代から気になっていた木村美栄子(菅野美穂)。秋則はただちに承知し、婿養子となって義父(山崎努)のリンゴ園を継ぐことを決める。

長年にわたる品種改良で作りあげられた西洋リンゴはきわめて弱い、人工的な作物である。それゆえ農薬による害虫・病気の駆除がなければまともな収穫をあげることはできない。だが、秋則の妻、美栄子は農薬にアレルギーを起こす化学物質過敏症だったのだ。毎年農薬散布のたびに全身に火ぶくれができる妻の姿を見かねて、秋則は決意する。「農薬を使わないでリンゴを育ててみよう!」だがそれはとてつもない苦労のはじまり、狂気への道だった……
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ひとつのことに取り憑かれた男の姿を描く映画は珍しくない。傑作もいくつもある。だが、それは基本的に妄執にとりつかれた男の恐ろしさと崇高さと、そしてそれに巻き込まれてしまった周囲の人間の悲劇を描くものである。つまり『華岡青洲の妻』のようなものだ。それはまちがっても「感動の実話」などではないだろう。阿部サダヲがへらへらしていようがどうしようが、狂人は狂人なのである。

まずは減農薬栽培を試みる秋則。減農薬で収量は減るものの、栽培は可能だとわかった秋則はいよいよ無農薬に挑戦する。ひょんなことから福岡正信の『自然農法』という本を読んだ秋則は、福岡の「人間が手助けしなくても草木は育つ」という考え方に魅せられる。稲や麦でできるなら、リンゴでもできるはずだ!と考えた秋則は四つあるリンゴ園のうちのひとつで無農薬栽培を敢行。だが夏を過ぎたころ、リンゴ園には病気が蔓延して葉が全滅する。

二年目。害虫を避けるためには農薬以外のものを散布すればいい!秋則は葉っぱにワサビを塗ろうと思いつく。だがそんなもので害虫をよけられるわけはない。ワサビが駄目なら酢では? 焼酎では? 牛乳では? 手当たり次第片っ端から目についた食べ物をリンゴの木に吹きかけるが、何ひとつ効きはしない。秋則は反省した。
「自分はまだ逃げ道を作っていた。四つあるリンゴ園のうちひとつしか実験していない。本気なら全部の果樹園で無農薬栽培をやらなければならない!」

五年目。リンゴ園は害虫天国となり、木にはありとあらゆる蛾の幼虫が巣くっている。秋則と義父、美栄子の三人は朝から晩までひたすら木についた虫を取りつづける(無農薬を貫くためには、手で虫を取るしかないのである)。ついに金も尽き、無農薬をあきらめようかと考えた秋則に、義父は戦中に食糧の尽きたラバウル島で、雑草の中で畑を作った話を聞かせる。そして黙って銀行に出かけ、定期預金を解約する。ひとりラバウル小唄を口ずさむ義父。ここらへん、山崎努がさすがと言うべき無言の演技で魅せる。この映画、山崎努とか菅野美穂とか、無駄にうまい役者が揃っているもので、場面によっては演技水準が異様に高い(菅野美穂が涙をこらえて手を震わせながら食事をする場面も素晴らしかった)。ただ、阿部サダヲはすべての心情を言葉で説明してしまうのだが。

六年目。収入はゼロ。生活の支えはリンゴ園の片隅で美栄子がほそぼそと育てている無農薬野菜である。電気もとまり、車も売ってしまい、二時間かけて畑まで歩いていく。

七年目。リンゴ園に看板がかかる。

〈虫への警告!これ以上、畑に害をすると、強力な農薬を使用する!〉

いや、それは……

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tags: グルメ 中村義洋 久石譲 原田美枝子 吉田実似 山崎努 文化庁文化芸術振興費補助 木村秋則 池内博之 菅野美穂 華岡青洲の妻 阿部サダヲ

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