柳下毅一郎の皆殺し映画通信

『クラウド・アトラス』 三時間近い映画が短すぎるとはこれいかに?(柳下毅一郎)

 

クラウド・アトラス Cloud Atlas(2012)

監督・脚本 ラナ&アンディ・ウォシャウスキー、トム・ティクヴァ
撮影 ジョン・トール
音楽 トム・ティクヴァ、ジョニー・クリメック、ラインホルト・ハイル
出演 トム・ハンクス、ハル・ベリー、ジム・ブロードベンド、ヒューゴ・ウィービング、ペ・ドゥナ、ヒュー・グラント

 

クラウド・アトラス 上さて、『クラウド・アトラス』はデヴィッド・ミッチェルのブッカー賞候補作、映画化不可能といわれた原作 の映画化である。「映画化不可能」という枕詞は多くの小説につくので鵜呑みにはできないのだが、この小説の場合、時間も空間も転々とする長大な小説なので、とうてい一本の映画にはおさまらないという意味で「不可能」なのである。しかも一貫したストーリーがあるわけではなく、六つの中編を組みあわせたかたちになっている。一九世紀のニュージーランドから遠未来のハワイまで、時代順に六つのエピソードが語られているのだが、いずれも真ん中で中断し、前後半分けて語られていく。上下巻にわかれているのだが、上巻では時代順に、下巻では逆になっていく。つまり、いちばん古い話(一九世紀のニュージーランド)が次の話(第二次世界大戦前の作曲家)の枠物語になり、それが次の……という構造である。それぞれの物語の登場人物が、ひとつ前の時代の物語を読んでいくかたちで物語はゆるやかにつながっていく。

この話を映画化するということになる。小説そのままの構造を映画に持ち込むのは不可能だろう(最後の方にたどりつくころには、最初の話を忘れてしまっている)。オムニバス形式だと、六つの話が並行して同時に起こっているという大前提が失われてしまう(実を言うと、それこそが六つの話をひとつにまとめている最大の意味なので、そこを失ってしまうと……)。

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時空間の離れた別々の話をひとつにまとめるために、とウォシャウスキー姉弟が思いついたのがD・W・グリフィスの『イントレランス』。そう、あれも時代をさまざまに飛びながら人類の不寛容(イントレランス)を語っていく話であった。『クラウド・アトラス』も実は人類の不寛容がひとつのテーマでもある。だが、ひとつ、ウォシャウスキーが忘れていたことがある。『イントレランス』はすべての物語のクライマックスがグリフィス得意のカットバック(グリフィス最後の救出)で終わるわけだが、『クラウド・アトラス』は別にそんなクライマックスが用意されているわけではないのだ。そもそもクライマックスがあるのかどうかもよくわからないエピソードもあるし……

物語は六つ。

1) 1849年。ニュージーランド。太平洋諸島に出かけたアメリカ人弁護士ユーイング(ジム・スタージェス)の航海記
2) 1936年。スコットランド。老作曲家の元で採譜をする野心たっぷりの若き作曲家志願フロビシャー(ベン・ウィショー)の話
3) 1973年。サンフランシスコ。女性ジャーナリスト(ハル・ベリー)が原発がらみの陰謀に巻き込まれる
4) 2012年。英国。山師じみた出版業者カヴェンディッシュ(ジム・ブロードベンド)は騙されて監獄のような老人ホームに送り込まれる
5) 2144年。ネオ・ソウル。レストランで奉仕するクローン人間ソンミ451(ペ・ドゥナ)はレストランの外の世界を知る
6) 2321年。ハワイ。文明崩壊後の社会で狩猟生活をつづけるザックリー(トム・ハンクス)の前に女性があらわれる

以上のストーリーが交互に語られていく。さて、このすべてについて語っていくととうてい時間もスペースも足りないので、映画の中でいちばん気になったパート、つまりいちばん酷いと思われたパートのことのみ語っていこう。つまりスコットランド編とネオ・ソウル編である。

スコットランド編ではジム・ブロードベンドが偏屈な老作曲家に扮し、野心満々のベン・ウィショーと渡りあう。ベン・ウィショーはホモセクシャルの恋人もいるのだが、作曲家にとりいるためにその若い妻(ハル・ベリー)を誘惑し、畢生の大作『クラウド・アトラス六重奏』を書き上げる。まぼろしの傑作となったその曲では異なる楽器が同じテーマを変奏し、重なり合うことで妙なる調べが生まれるーーつまりこの映画の構成そのものを模した作品なのである。

そういう重要なエピソードなのだが、これが実に軽い。何よりも語り口が早すぎて、テンションが高すぎる。なぜそんなことが起こるかというと時間が短すぎるからである。

三時間近い映画が短すぎるとはこれいかに? だが実のところ上映時間を6で割れば一エピソードあたり30分、ほぼテレビドラマ一話分の時間である。これだけの人物の思惑と愛と夢を描くには短かすぎる。自然、ストーリーは粗筋だけになり、キャラクターのセリフと演技はわかりやすい漫画になってしまう。その問題は他のすべてのエピソードにも共通しているのだが、このエピソードがいちばん鼻につくのはひとつは舞台が第二次世界大戦前のスコットランドという、映画では珍しくなくなじみ深い場所であること。そしてモデルとなった映画がはっきりしているからだ。

(残り 1525文字/全文: 3612文字)

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tags: SF イントレランス ウォシャウスキー ジム・ブロードベンド ソング・オブ・サマー デヴィッド・ミッチェル トム・ティクヴァ トム・ハンクス ハル・ベリー ヒュー・グラント ファイナル・ジャッジメント ペ・ドゥナ マトリックス 洋画 空気人形

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