「ノンフィクションの筆圧」安田浩一ウェブマガジン

朝鮮人労働者の供養に奔走した僧侶が関係していた「幻のクーデター計画」


死後72年目の帰郷

 死後72年。遺骨はようやく故郷へ戻ることができた。
 韓国人の金千萬(キムチョンマン)さん──。1942年に徴用され、九州・筑豊の炭鉱で働かされた。しかし終戦直後の45年9月、故郷に帰ることなく44歳で亡くなった。死亡時の状況は不明だ。
 遺骨は飯塚市(福岡県)の寺院に安置され、2000年には朝鮮半島出身者の追悼施設「無窮花(ムグンファ)堂」に納骨された。
 7月22日、関係者の努力によって判明した遺族へ、無事、金千萬さんの遺骨が引き渡されたのだ。75年ぶりの帰国である。
 日本最大の産炭地だった筑豊では戦前、多くの朝鮮人労働者によって石炭採掘がおこなわれていた。帰国を果たせず、事故や病気で亡くなった者も少なくない。こうした朝鮮人労働者を追悼する無窮花堂には、いまなお118人の遺骨が眠っているという。
 ところで、金千萬さんの遺骨が無窮花堂に収められるまでの間、長きにわたって安置されていたのは観音寺という寺だった。
 私は同寺の住職、古賀良洋さんには何度か取材で世話になった。
 観音寺の境内には炭鉱で亡くなった朝鮮人の無縁仏があった。
「いつか祖国に戻してあげたい」
 そんな願いを口にしていた古賀さんだったが、15年に亡くなっている。金千萬さんの遺骨が遺族に引き渡されたことを知れば、古賀さんもさぞかし喜んだことだろう。
 亡くなった朝鮮人労働者の供養を続けたことで、地元の在日コリアンからも親しまれた古賀さんだったが、実は、知られざる「過去」を抱えていた。
 古賀さんは、右翼関係者による幻のクーデター計画「三無事件」の実行グループメンバーだったのだ。

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