「ノンフィクションの筆圧」安田浩一ウェブマガジン

「ジャンパー事件」その後  小田原市が取り組む「ひらかれた生活保護」

人を追い詰めるデマと偏見

 封書が届いたのは少し前のことだ。線の細い流麗な文字が綴られていた。女子刑務所に収容されている受刑者からだった。
 女性は生活苦から体の不自由な老親と無理心中を図り、自分だけが生き残った。殺人と自殺ほう助の罪で逮捕され、裁判の結果、懲役刑を受けた。
 逮捕された直後から、私は何度か手紙を送っていた。からだの不自由な老親の介護に疲労し、貧困に苦しんだ彼女もまた、日本の福祉制度が救うことのできなかった被害者ではないのか。そうした思いを私は手紙に記した。
 しばらくの間、返信はなかった。だが、刑が確定して受刑者となってから、彼女は筆を執った。
「社会のせいではありません」
 手紙にはそう書かれていた。
「私と家族に問題があったのです」
 すでに裁判でも明らかとなっているが、心中を決行する数日前に、彼女は生活保護の申請をしている。だが、役所の担当者による「審査」を受けた際、預貯金もなく、年金も未納が続いていたことに「自分たちの人生が恥ずかしくなった」という。
 だからすべては自分自身の責任であり、それ以外に問題はないのだと彼女は手紙で訴えていた。

 せつなくて、やりきれない。彼女は「恥ずかしい」からこそ生活保護を利用することに抵抗を感じて、死ぬことを選択した。あるいは生き抜く方法を見つけることができたかもしれないのに、当たり前の権利を放棄した。
 生活保護は国による施しではない。私たちが今日を、明日を、生き抜くための正当な権利だ。利用をためらいたくなるような制度だと思わせてしまうことのほうが、よほど恥ずかしい。
 だが、彼女は老親を死なせてしまったことだけではなく、貧困に陥り、そこから抜け出すことのできなかった自身と家族を恥じている。「自己責任」を感じている。自死を決意した日から受刑者となったいままで、それはずっと変わらない。
 そう思わせたのは、いったい誰なのか。何が彼女をそこまで追い詰めたのか。なぜスティグマ(社会的な恥辱感)を抱えなければならなかったのか。
 正体はわかっている。濃霧のように社会を覆うデマと偏見──いわゆる生活保護バッシングである。

難攻不落として知られる小田原城

 430日、小田原市(神奈川県)で「生活保護行政に関する検証会」が開かれた。これは生活保護業務を担当する小田原市職員が、保護利用者を中傷するようなジャンパーを着用していた問題で、その後の改善策の取り組み状況に関して、有識者などが検証するものだ。
 まずは事件のあらましを振り返ってみたい。

<生活保護「なめんな」 小田原 市職員、ジャンパーに文言 世帯訪問時に着用>

 こうした見出しのもと、読売新聞が生活保護担当職員の不祥事を報じたのは昨年117日だった。
 問題のジャンパーを着用していたのは市生活支援課の職員たち。ケースワーカーなど在籍者のほぼ全員が勤務中に着用していた。
 紺色のジャンパーの胸には「HOGO NAMENNA」(保護なめんな)の文字と「悪」に×印の入ったエンブレム。さらに背中の部分には大きく「SHAT」の文字がプリントされていた。これは「生活」「保護」「悪撲滅」「チーム」の頭文字だという。また、その下には「我々は正義だ」「不当な利益を得るために我々をだまそうとするならば、あえて言おう。クズである」などの文章が英語で書かれていた。
 ケースワーカーたちはこのジャンパーを2007年から保護者の家庭を訪問する際などに着用していたという。
 その後の市の調査で、ジャンパー以外にも「SHAT」等と書かれたTシャツ、マグカップ、ペン等8品目の「関連グッズ」が製作され、職員間で売買されていたことも判明している。
 生活保護利用者を貶めるだけでなく、生活保護を利用する機会をも抑制するものだ。人権侵害以外の何物でもない。まさに生活保護への偏見を露骨に表現した、前代未聞の不祥事だった。

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